われわれが考える医療ウェブサービス

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今年は当方のTOBYOをはじめ、日本でいくつか従来にない方向性を持った医療ウェブサービスが登場して来ている。今後、さらに新しいサービスがどんどん登場し、シーンが活性化することをまず期待したい。そして、いくつか登場してきた新しいサービスを興味深く見ているうちに、TOBYOの立ち位置や目指すべき方向性について、新たに気づかされることも多い。

それら「新たに気づくこと」は多岐にわたるが、その中で一番重要なポイントを挙げるとすれば、それはわれわれがTOBYOに込めた「こだわり」を再確認させられた、ということになるだろう。その「こだわり」とは、闘病サイト、およびそれらによって形成された闘病ネットワーク圏に対する、われわれの強い「こだわり」である。別の言い方をするならば、われわれは日本の医療ウェブ分野で起きている、闘病者の行動によってもたらされた「ネット的な現象」に対して、かなり強い「こだわり」を持っていると言えるだろう。この「こだわり」の強度によってわれわれのTOBYOは、自然に、よそとはかなり異なる位置に立っているのかもしれない。 続きを読む

米国最大手HMOがマイクロソフト社Health Vaultを採用

KaiserMHM

10日(火曜)のニューヨークタイムズによれば、米国最大のHMO(保健機構:Health Maintenance Organization)であるカイザーパーマネンテが、マイクロソフト社のPHRであるHealth Vaultを採用しテスト運用を開始する。

当初は、カイザーパーマネンテ従業員15万6千人の個人医療データを使いテスト運用するが、運用が順調であれば、870万人のカイザー会員データをHealth Vault上のPHRにアップし、血圧計や万歩計などモニター装置による付帯サービス提供等を開始する予定。 続きを読む

継続と切断(2.0をめぐって)

Web2.0から始まってHealth2.0にいたるまで、世の中には様々な「2.0」が現われて、ある意味で食傷気味である。振り返ってみると、web2.0が広く注目を集め出した2005年の時点で、もう既に「2.0」が単なる一時的なファッドやバズワーズであるとの批判が、ブロゴスフィアにはあふれていた。Health2.0についても昨年初頭、この呼称をめぐる論争が、ドミトリー・クルーグリャク氏とスコット・シュリーブ氏らの間で起きていたことも思い出される。

たしかにこの「2.0」という言葉には、単なる流行現象の側面があることは否定できないが、当方はこの言葉にもう少し深い意味を読み取っている。この言葉が、時代の「切断」を最も適切に表現し得ていると考えるからだ。われわれの弛緩した日常感覚は、往々にして世の中を「継続」として無条件に捉えている。実際にはすでに終了していることが明白であるにもかかわらず、この「継続」感によってその「終了」の事実と意味が隠されてしまうことがある。 続きを読む

「闘病ネットワーク圏」の先進性

CarePages

9日(月曜)のワシントンポストに「Patient Web sites used for news, support in crisis」という記事が掲載された。ここで紹介されているのはCareBridgeCarePagesで、当方ブログの以前のエントリで紹介済み(ここここ)だが、両者とも患者簡易サイトのホスティングサービスとして古参と言ってもよいだろう。CarePagesのほうは、スティーブ・ケース氏率いるRevolutionHealthに買収されたようだ。

このワシントンポストの記事を一読して思ったのは、なぜ今頃、CareBridgeやCarePagesを取り上げるのだろうかという素朴な疑問である。TOBYOで闘病記にフォーカスしている当方の目から見ると、CareBridgeもCarePageも、どちらも闘病サイトのホスティングサービスを提供しているわけだ。たしかにブログが登場する以前には、両者とも「簡易ホームページ」を提供してくれるサービスとして、それなりの利用価値はあっただろう。だがブログ登場以降、これらのサービスは明らかに陳腐化しているはずなのだが、それが、いまだにワシントンポストの「ニュース」になっていること自体、不思議に思える。 続きを読む

闘病記と時間

TOBYOベータ版公開時に作ったプレゼンスライドだが、あそこに、闘病者がネット上で自然発生的に形作ってきた「闘病ネットワーク圏」を「宇宙」になぞらえたページがある。実はそれには二つの意味があった。

ひとつは「闘病ネットワーク圏」の空間的な把握の仕方であり、広大なネット上に分散する闘病サイトが、ところどころで同病コミュニティの「星座」を作ったりしながら、その全体が、あたかも見上げた星空に浮かび上がる星図のように見えることを意味している。二つ目に、これら広大な空間に分散する闘病サイトが、実は別々の時間における体験を記録しており、同一空間にありながらそれぞれ固有の時間に属しているという時間的把握の問題がある。 続きを読む