メディアを持った闘病者

TOBYOの収録サイト数は現在4万件に近づいている。最初、TOBYOを立ち上げる時点で、私たちはネット上に公開されている闘病ドキュメント(いわゆる闘病記)の数をおよそ3万件と推定した。すでにTOBYOはその数を越えているのだが、今の時点で少なくとも5万サイトがネット上に闘病ドキュメントを公開しているものと思われる。「ネット上のすべての闘病ドキュメントを可視化し検索可能にする」というのがTOBYOプロジェクトのミッションであるが、少しづつその達成が見えてきている。

TOBYOプロジェクトは、闘病ドキュメントを公開している個人サイトやブログからなるネット空間を「闘病ユニバース」と名付け、これを自生的に進化している一種の「自律、分散、協調」型ネットワーク、あるいは開放型仮想コミュニティとみなし、自らをその情報インフラとして位置づけてきたのである。

以前、コミュニティ・リサーチを取り上げた際に、人為的にコミュニティを起動することの難しさとそこに付きまとうバイアスの存在を指摘したが、闘病ユニバースのような自然発生的なコミュニティはこれら問題とは無縁である。まず、コミュニティ自体が自然発生的に成立し、すでに動いている。そして闘病ユニバースを構成する各人は、あくまでみずからの自発性のみに依拠し、各人なりの自由な方法とスタイルでこの仮想コミュニティに「参加」しているからだ。闘病者は、ただ好きなホスティング・サービスやオープンソースCMSを利用して、おもいおもいにブログを書き始めるだけでこの闘病ユニバースに「参加」することができる。否、特に「参加」という意識さえ持つ必要もないのだ。

このブログでは、繰り返しこの闘病ユニバースについて言及してきたのだが、やがて時間がたち、ネットのありようは大きく変わってきている。とりわけTwitterとFacebookの爆発的な普及は、従来の開放的なネットにおける自由なユーザーの活動を、特定のクローズド・サービスへ囲い込むような状況を作り出している。TwitterにせよFacebookにせよ、本来それらは特定のサービス企業が作り出したプライベートな空間であるが、「ソーシャルメディア」との呼称が示すように、それらはあたかもパブリックな空間であるかのように立ち現われている。そして、これら「ソーシャルメディア」の台頭にともなって、パブリックスフィア(公共圏)としてのネットの存在価値はますます忘却されるかのごとくである。

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WebMDの苦闘から考えたこと

年の初めにいきなり不景気な話で申し訳ないが、昨年末、米国の医療ポータルWebMDが従業員250人のレイオフを発表した。これは全従業員1400人の約14%にあたる。WebMDと言えば1996年設立以来、ずっと米国トップ医療ポータルの座を維持してきたが、とうとう2011年、EverydayHealthにその座を明け渡している。これはRevolutionHealth買収(2008年)を布石とするEverydayHealthのWebMD追撃戦略(「競争激化する米国医療ポータル市場」参照)が、三年たってようやく実を結んだものと言えるだろう。

最近の両社のトラフィック状況を見ると、月間ユニーク・ビジター数でEverydayHealthが2,200万人、WebMDが2,000万人程度である。WebMDはEvrydayHealthの後塵を拝しているのだが、昨年2012年を通じて、ユニーク・ビジター数もページ・ビュー数も伸ばしてはいる。それでもリストラに至ったのは、製薬業界からの広告をはじめとする収入が激減したためである。米国製薬会社のDTC(Direct To Consumer)広告予算は2006年をピークとして下降する一方であり、さらに追い打ちをかけるかのように、ファイザーのリピトール(Lipitor: 血中コレステロール降下剤)をはじめ製薬各社の薬品特許切れが相次ぎ、「まるでタオルを投げるように」(米国製薬業界関係者の弁)マーケティング活動から撤退が始まったといわれている。

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謹賀新年

替天行道2013

新年おめでとういございます。
本年もよろしくおねがいします。

今年の年賀状には「替天行道」と記しました。昨年暮れkindle PaperWhiteが届き、とりあえず読み始めたのが北方謙三「水滸伝」全19巻でした。以前からこのシリーズには注目していましたが、なにせ19巻というボリューム、なかなか手が出ませんでした。ところがeブックリーダーを入手してみてあらためてそのメリットを考えてみると、まずリアル・ブックにはないそのスペースファクターということになります。とにかく「一台に1000冊の本を収納できる!」のですからこれはありがたいわけで、特に「水滸伝」のような長尺物を気軽に持ち運べるようになり、さっそく試しに読み始めたというわけです。

ところがこの「水滸伝」作中に頻繁に登場するのが「替天行道」。その意味をめぐって複数の解釈があるようですが、北方「水滸伝」では梁山泊叛徒たちの革命思想スローガンのように用いられています。そのあたりを考えているうちに、10年ほど前、私たちに近い場所で扇情的に呼号されていた「ITが医療を変える!eヘルス革命!」などという文言を思い出しました。10年たってみると、これらの文言は単に空虚なばかりか、どことなく寒々しい響きさえ感じさせます。

この「ITが医療を変える!eヘルス革命!」というフレーズで、たとえば「IT」を「SNS」とか「ソーシャルメディア」に、「eヘルス」を「Health2.0」と言い換えてみると、一応、今でも通用するような体裁の文言にはなります。ですが、今からさらに10年後を想起してみると、たとえ「SNSが医療を変える!Health2.0革命!」などと言ったところで、やはり空しく寒々しいものになっているであろうことは容易に推察できるでしょう。

特に医療をめぐっては、これまでさまざまな人々が「医療を変える」ということを異口同音に叫んでいたと思います。しかしそれらは荒野をさまよう木霊のように、何の実体も伴うことなく、いつしか現実世界の強風に吹き飛ばされて消失していったのです。いったいこれらをどう解釈すればよいのでしょうか。

昨年あたりから、過熱気味の「ソーシャルメディア」ブームに対する違和感の表白が、すでにウェブのあちこちで目につくようになってきました。そろそろ「ソーシャルメディアの次に来るもの」に想いを馳せる時期かもしれませんが、それにしても流行現象の栄枯盛衰に一喜一憂するのも空しい所作ではありませんか。もっと持続力のある「何か」を見つけ出す必要があるのかもしれません。おそらく、もっと長持ちする「ビジョン」をこそ創案すべきなのでしょう。

「医療を変える」とか「××革命」とかいうclichéから抜け出し、なおかつそれらの発想と決別し、自分の言葉で医療ビジョンを語らねば・・・・。そんなことを考えさせてくれた「替天行道」でした。

三宅 啓  INITIATIVE INC.