d2と医療マーケティング

近日公開予定のd2サイト・トップページ・イメージ。

長い道のりだった。この「TOBYO開発ブログ」は2006年12月から開始され、以来9年が経ち、来年にはもうまるまる10年になる。当時米国西海岸に立ち上がったHealth2.0ムーブメントと伴走しようと、患者体験共有「TOBYO」プロジェクト開発に取り組みながら、少しづつその目指すべきビジョンと方向性を固めてきた。ビジネスモデルとしてB2Bのデータサービスが必要であるとはわかっていながら、その具体像を見定めるのに手間取り、出来上がってきた初代「dimensions」には何か物足りなさを感じることさえあった。

さらにそれから、闇の中を手探りで進むような数年が過ぎ、ようやく私たちは「d2」という成果物を幸いにして作り上げることが出来た。そして再びあらためて周囲を見渡してみると、そこには10年前とはまるで違った景観が広がっていた。2005年ごろから始まったweb2.0に触発されて、おそらくHealth2.0も私達のTOBYOプロジェクトも起動されたはずだが、そのweb2.0で夢想された理想主義や予言された革命は、いつの間にかまったく別物の「現実と日常」に置き換わってしまっていた。今日あるようなSNSやコミュニティやネット世論は、当時予想された「ネットの近未来像」とは相当異なった相貌を呈していると言わなければならない。 続きを読む

23andMe社が新薬開発へ進出

23andMe CEO and Founder Anne Wojcicki,Forbes

「製薬企業は消費者との直接の関係を持っていない。消費者はいつも被験者だった。彼ら消費者に参加してもらい、『あなたがこの研究に貢献し、あなたがこの研究を実現したのだ』と称揚することで、私達はこれまでと違うやり方でものごとを達成できるだろう。」 (23andMe社CEOアン・ウォイッキ氏,The Verge)

3月12日、米国23andMe社は新薬開発事業に進出することを発表した。23andMeといえば、かつてゼロ年代に台頭したHealth2.0ムーブメントから登場したスタートアップであり、Googleのグループ会社として、さらにはCEOのアン・ウォイッキ氏がGoogleファウンダーのセルゲイ・ブリン氏の妻であったことも手伝い、ひときわ大きな注目を浴びた企業だ。

99ドルで遺伝子解析キットを直接消費者に販売し、回収・解析の上、疾患罹患リスク予測や先祖推定などを提供するこのサービスは、はじめ順調に軌道に乗るかと思われたが、一昨年、米国FDAの解析キット販売停止勧告により、その前途は一挙に視界不良となった。(当ブログ「イノベーションと規制」参照)。「もう23andMeは終わりかもね」とさえ言われたが、今回の「転進」は、同社にとって起死回生の新戦略になる可能性がある。 続きを読む

Health2.0の7年。

スコット・シュリーブが作成した「医療の再定義」のコンセプトチャート。

今になってHealth2.0のことを語ろうとすると、なんだか「死んだ子の歳を数える」ようなニュアンスがつきまとい、いささか躊躇さえしてしまう。それだけ時がたったということだろう。そしてその過ぎ去った時を振り返るのは、ちょっとしたセンチメンタル・ジャーニーになってしまう。

Health2.0は終わってしまった。まだ米国では毎年、「Health2.0」カンファレンスが開催されてはいるが、それはビジネスショウの単なるタイトルに過ぎない。それ以上のインパクトも輝きも持ち得ないのが現状である。

このブログでは、2007年の春頃からHealth2.0の動向をウォッチングしてきた。米国をはじめ世界で大きな注目を浴びたHealth2.0だが、どんなムーブメントにも例外なく拡大期もあれば衰退期もある。そろそろ「総括」をする時期だと思う。 「総括」といってもポイントを絞って、Health2.0が一体何を提起し、何を変えようとしたのか、そして結局それは実現したのか、について考えたい。

まず「Health2.0」の理論的な枠組みであるが、最初にそれを考案したのは、Health2.0最大のビジョナリーと言っても良いスコット・シュリーブ医師であった。彼のビジョンは、おおまかに言ってしまうと、エリック・レイモンドの「伽藍とバザール」、そしてポーター&テイスバーグの「医療の再定義」(邦題「医療戦略の本質」日経BP社)を結びつけたものだった。つまりオープンソース運動とマーケティングの2つの視座から、従来の医療を批判的に検討し、その上でこれまでとは違う「ケア・サイクル」に基づく新しい医療を創造しようとする、極めて野心的なものであった。そして当然、そのゴールは医療制度改革であった。 続きを読む

「生、病、死」の考察

キューブラー・ロス「死ぬ瞬間」

先週孫が生まれた。出産予定日は知らされていたものの、いざ出生の事実に面と向かってみると、そこにはある種「予想外の幸運に出くわした」みたいな感じがあった。無論、「歳を食ったなぁ」という感懐もある。そして、昨年末の母の死と合わせて考えると、この短期間に近しい人間の生と死の両端を体験することになったわけだ。

「人間の生と死」と言ったが、今ひとつのファクターとして「病」があるだろう。私達がTOBYOプロジェクトで採集している闘病ドキュメントとは、この「生、病、死」の記録に他ならない。その中でもプロジェクトでは「病」に焦点をあて、数百万ページのドキュメントから「病」に関する記述を抽出・集計・分析することを目指してきた。だが本来、「病」とは「生、死」との三点セットの相互関連として論じられるべきであり、それだけを単独であつかうことは不自然であるかもしれない。

また、この三点セットは往々にして「生、病」が前面に出され、「死」は後方へ退けられる傾向がある。特に「闘病」という言葉を使った場合、そこから強く喚起されるのは「生と病」である。「闘病」という言葉が、多分に積極的な行為を表すからだろう。対して「死」が積極的に焦点化されることはない。どうやら私達に共有された無意識には、「生、病」をポジティブに捉えたいという一種の強迫観念があり、逆に「死」を議論の余地のないネガティブ・ファクターとして無視したいという暗黙裡の合意があるような気がする。 続きを読む

ワードクラウドで患者の言葉を可視化する

ハーセプチン体験者約1000人が語っている言葉


(図をクリックすると大きく表示)
ネット上に公開された膨大な患者の言葉をわかりやすく要約する方法を、あれこれ試している。一目で見て、パッと全体の傾向がつかめるようなものがよい。その一つがワードクラウドである。

かつてWeb2.0時代に盛んに用いられた「タグクラウド」だが、その後、単にタグを表示するものから、テキストマイニングの結果を表示する「ワードクラウド」へとその役割は変わってきている。これはテキストデータをマイニングし、言葉の出現度数に応じてサイズを変えて言葉を表示しようという、まことにシンプルな発想にもとづいている。近年の有名な事例としては、オバマ大統領の就任演説をワードクラウド化し、初回就任演説と第二回就任演説の言葉を比較するものがあった。

演説にせよ闘病ドキュメントにせよ、本来、中身を把握するためにはそれらをはじめからシーケンシャルに「読む」ことが必要となる。それらを読み進めるうちに、様々な「意味」や「ニュアンス」あるいは「雰囲気」などが出現し、あるまとまったメッセージやイメージが理解されていく。このように「書かれた言葉」は「読む」という一種の生産活動によって、メッセージやイメージを生成するのである。だが、数万人の数百万ページにおよぶ数十億語を読むということになると、人の短い一生を費やしても読みきる事は困難になる。 続きを読む