患者生成コンテンツ解析の新展開

「ハーセプチンの開始」自己組織化マップ

連日、素晴らしい秋晴れの日が続く。ブログを怠けているうちに、そして、そろそろあの酷暑の記憶を忘れ始めたころに、いつのまにか季節の歯車は大きく回転したようだ。毎日、老母を車椅子で散歩に連れ出し、移ろいゆく石神井公園の景観を一緒に眺める日々を送っている。少し前のエントリでも触れたが、精神的、身体的に老化著しい母を、今月から自宅介護することになった。ベンチャーと介護の二足わらじだが、さて、うまくいくものか?

ところで先月末だったか、ある大学から「患者の語り」について問い合わせがあった。TOBYO収録の患者生成ドキュメントを研究したいということだが、「患者の語り」という言葉にひっかかり苦笑した。ご存知のように当方では「患者の語り」という言葉を使わない。比喩として「語り」と言うことはあるかもしれないが、TOBYOプロジェクトの対象はあくまでも患者の「書き言葉(エクリチュール)」であり「語り」ではない。そればかりか、本来「書き言葉」と「語り」はかなり異なるものだ。だから両者の差異を、ほんとうはあいまいにしてはいけないのだと思う。

簡単にいえば、「語り」はパフォーマンスの性格が強く、行為遂行的であり、その首尾は「(パフォーマンスとして)成功したかどうか」あるいは「適切か、不適切か」で評価される。一方「書き言葉」は、どちらかというと事実確認的(コンスタティブ)性格が強く、その首尾は、記述された事実の真偽によって評価される。(参考:J.L.オースティン「言語と行為」)。

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