暑中御礼

Suiren

この暑い中、当方までわざわざご来訪いただいた方々に感謝。一昨日は立教大学の三浦さん、今日は神戸大学の小川先生、ケットさん、それに電通の藤野さん。みなさんありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

当方のような弱小ベンチャーが、果たして何かお役に立つお話ができたかどうか不安だが、持ち前の強固な思い入れと過剰なファイティング・スピリッツに火がつき、止まらぬ饒舌、枯れる声も裏返り、時間度外視のインタビューとなってしまった。

まずビジネススタイルに関して、当方ビジネスとNPOなどの事業スタイルについて異口同音に質問をいただいたが、当方の現在の立ち位置ははっきりしている。ベンチャーであれNPOであれ、とにかくイノベーションを実際に起こし、新しい価値を創らなければ何の意味もない。そこを「善意」とか「美しい話」でごまかしてはならない。真に社会に役立つということは、必死になって、命がけで「イノベーションと新しい価値」を創出することだ。善意で凡庸なる仕組みをごまかすことはできない。

私たちのDFCは、まさに「イノベーションと新しい価値」を具現化するためのチャレンジである。これをやるためにこれまでの数年間があったのだし、これをやるために起業したのだ。 続きを読む

仮想コミュニティのポータル

Universe

今週はいくつかインタビューの予定が入った。TOBYOに関心を持っていただいて感謝感激である。ところで事前の質問リストを見ていると、やはり「どうしてTOBYOは闘病記を書く機能やコミュニティ機能がないのか」という質問があった。これはこれまで一番多く当方に発せられた質問であるが、おそらく今後も事あるごとに問われるのだろう。

何度でも繰り返す必要があるのだろうが、私たちがTOBYOプロジェクトを企画する段階で、ネット上には約3万サイトと推定される闘病ドキュメントサイトが既に存在していた。端的に言って、一から闘病体験をTOBYOサイトで書いてもらうよりも、既に存在する闘病サイトを可視化しリスト化する方が早く、しかも確実なのだ。TOBYOが闘病体験を書く機能を持たないのは、そのように判断したからだ。

次にコミュニティ機能だが、ネット上に分散して存在する闘病サイト群は、相互リンク、コメント、トラックバックなどを通じて緩い自然発生的なネットワークを作っていた。これを私たちは一種の仮想コミュニティとみなし「闘病ユニバース」と名付けたわけだ。つまりコミュニティ機能もまた、私たちがTOBYOサイトで一から作り込むまでもなく、すでにネット上に存在していたのだ。 続きを読む

DFCとブログ・マーケティング

Direct From Consumer

猛暑来襲。暑い、熱い、あつい。

この暑さの中、DFC(Direct From Consumer)の開発に取り組んでいる。9月中にはアルファ版完成を予定。先週エントリで「ブログ・マーケティング」について考えてみたが、春先からDFCの仕様をあれこれ検討しているうちに、自然と当方なりのブログ・マーケティング観というものが次第に焦点を結びつつある。他のブログ・マーケティング関連サービスとはかなり違うものになるかも知れない。

これまで既に稼働しているブログ・マーケティング・サービスやツールを見ると、ウェブ上の流行現象の盛衰、伝播パターン、キャンペーン効果等をいかに時系列把握するかがテーマになっているケースがほとんだ。この点、医療においては消費財のようなファディッシュな流行現象というものは考えにくい。

だからDFCでは、時系列で複数ブランドの出現頻度をトレースするような必要はあまりない。また、関連ワードによって特定ブランドやプロダクトネームに対する好意度解析をするケースも多いが、DFCではこれもあまり重要ではないと考えている。医薬品、医療機器のプロダクトネームを「好き、嫌い」で評価してもあまり意味はないからだ。医療機関に対しては好悪評価の余地はありそうだが、これもよく考えるとさしたる意味を持つとは思えない。 続きを読む

医療評価、競争、進化

airplane

昨日エントリでEHRなど医学情報と闘病体験ドキュメントの相互関係について考えたのだが、これは例の「EBMとNBM」みたいな話とは一切無関係である。エビデンスとナラティブを対置するような議論は、実は何ら生産的なものではなく、いわば「科学 対 人間」のように通俗的な、昔懐かしい対立図式を反復して見せているに過ぎないのだ。このような通俗性ゆえに、一見して、誰にもわかりやすい理屈に見えるのだ。しかしこれら通俗的論議は、今日の医療をどのように変えるのかという具体論を回避し、実践的課題から目をそらすためのレトリックに過ぎない。

患者体験ドキュメントに価値があるとすれば、それが「ナラティブ(物語)」であるからではなく、そこに実際に体験された「ファクト(事実)」があるからだ。「語り」という叙述の形式が問題なのではなく、どのような叙述形式であれ、それによって記録される内容(事実)のほうが価値を持つはずだ。そして事実は医療を可視化する。すなわち患者の目を通じて医療は可視化される。EHRなど医療情報システムによって記録された医学的事実と、患者の目を通じて自発的に記録された体験的事実。この「二つの事実」は、医療の実践者と被験者の双方の視点から観察された「事実」であり、実は医療のみならず、およそ「サービス」というものが避けがたく持つ二つの側面を示している。どのようなサービスも「提供者の事実」と「消費者の事実」という二面性を持っているのだ。 続きを読む

夏、EHR、そしてTOBYO

ShakujiiKoen_2010summer

先週、梅雨明け。三連休。墓参、読書、音楽。いきなりの酷暑。蝉、鳴き始める。いよいよ本格的な夏。

先週、7月13日、米国政府はEHR導入促進プログラム”HITEC Act”の「意義ある利用」ルールのファイナル・バージョンを公開した。同時にONC(The Office of the National Coordinator for Health Information Technology)のデビッド・ブルーメンソール局長は、同日付“The New England Journal of Medicine”にこのファイナル・バージョン要約と解説を発表している。昨年来、米国医療IT業界を震撼させたこの「意義ある利用」問題にも、やっと一応の決着がつけられたことになる。

一方、日本のこれまでの医療情報化議論というもの振り返ると、総じて「極めて低調であった」としか言いようがない。例によって何度も役所主導の「検討会」が編成されたはずだが、何一つ社会的コンセンサス形成を果たした形跡はない。おそらくアジェンダ設定に問題があったのだろう。

やはり先週、TOBYOの収録サイト数は2万2千サイトに達した。最近の闘病ユニバースだが、ウェブ上で闘病体験を公開しようというユーザーの意欲は今年に入ってますます高まっているような気がする。当初、その規模をおよそ三万サイトと推定した闘病ユニバースだが、その後、規模は膨張していると見て間違いないだろう。ブログで自分の闘病体験を社会的に公開することは広く定着してきている。またツイッターで体験を公開する闘病者も増えているが、これらをTOBYOプロジェクトでどう扱うかは今後の課題である。 続きを読む