「生、病、死」の考察

キューブラー・ロス「死ぬ瞬間」

先週孫が生まれた。出産予定日は知らされていたものの、いざ出生の事実に面と向かってみると、そこにはある種「予想外の幸運に出くわした」みたいな感じがあった。無論、「歳を食ったなぁ」という感懐もある。そして、昨年末の母の死と合わせて考えると、この短期間に近しい人間の生と死の両端を体験することになったわけだ。

「人間の生と死」と言ったが、今ひとつのファクターとして「病」があるだろう。私達がTOBYOプロジェクトで採集している闘病ドキュメントとは、この「生、病、死」の記録に他ならない。その中でもプロジェクトでは「病」に焦点をあて、数百万ページのドキュメントから「病」に関する記述を抽出・集計・分析することを目指してきた。だが本来、「病」とは「生、死」との三点セットの相互関連として論じられるべきであり、それだけを単独であつかうことは不自然であるかもしれない。

また、この三点セットは往々にして「生、病」が前面に出され、「死」は後方へ退けられる傾向がある。特に「闘病」という言葉を使った場合、そこから強く喚起されるのは「生と病」である。「闘病」という言葉が、多分に積極的な行為を表すからだろう。対して「死」が積極的に焦点化されることはない。どうやら私達に共有された無意識には、「生、病」をポジティブに捉えたいという一種の強迫観念があり、逆に「死」を議論の余地のないネガティブ・ファクターとして無視したいという暗黙裡の合意があるような気がする。 続きを読む

無限ループからの脱出

dimensions_Analysis

dimensionsの新コンテンツ「Analysis」

長く寒い冬が去り、ようやく春がきた。石神井公園では先週から、桜、こぶし等、様々な花々が一斉に開花している。暖かい風に吹かれながら、池を散歩するのは気持ちが良い。

さて、以前のエントリでお知らせしたように、TOBYOプロジェクトはdimensionsの新コンテンツ「Analysis」の実装に取り組んでいるが、当初計画よりもやや遅れ気味になっている。「Analysis」では、TOBYO収録4万4千件の患者ドキュメントを集計分析し、順次パブリッシュする予定だが、従来研究してきたテキストマイニングに加え、最近、新たに「機械学習」機能を導入することを考えている。

TOBYO収録データは700万ページを越え、近い将来1000万ページも視野に入れなければならなくなってきた。こうなると、症状、治療、意思決定など闘病情報と日常雑記や趣味など生活情報、あるいはノイズなどを自動分類することがますます重要になってきている。機械学習は、まずデータ・クリーニングのために必要なのだ。

そればかりではない。患者体験ドキュメントを「時間軸上に配列された医療イベントのシークエンス」というふうに捉えるとすれば、「初期症状、検査、告知、診療方針、手術、病理結果報告・・・」などキイになる医療イベントあるいは場面を特定し、自在に抽出する機能が重要になってくる。どの疾患の、どの患者の体験であれ、今日、診療ガイドラインなどによって医療の標準化が進むにつれ、どの患者体験も同じような医療イベント群を同じようなシークエンスで配列したものと見ることさえ可能である。もちろん個々の患者体験はそれぞれ異なるものの、それら全体を俯瞰してみると、通底する同じようなパターンが浮かび上がってくる。 続きを読む

新たにPerspectiveが加わり、dimensions2.0へバージョンアップ

dimesions 2.0

ここ二回連続で「クチコミ病院検索」の問題を扱ったが、こっちのブログで書き出したものに補筆し、改めてYahoo!Newsのほうへニュース投稿した。結局、「ネガティブ・コメントを削除するクチコミ検索」という現象は、医療パターナリズムに端を発するものである。そこを批判しなければ、似たようなことは形を変えて何度も繰り返されるだろう。しかし、このエントリは当方の予想を超える関心を惹起したようだ。

さて、患者の闘病体験をトラッキングし自由自在に検索する「TOBYO dimensions」だが、近々にバージョンアップする予定である。今年になってから、患者闘病ドキュメントをテキストマイニング出力するPDR、PAI、PDSなどサービスを開発してきたが、あれこれとっ散らかってしまったので、一度まとめなおす必要があると思っていた。いろいろ検討した結果、やはりdimensionsに統合するのが一番すっきりするということになった。新たにPerspectiveというサービスをdimensionsに追加するが、これはPDR、PAI、PDSなどをまとめたものである。テキストマイニングによるデータ出力をメインとして、さまざまな患者視点アウトカム・レポートを提供しようと考えている。

Perspectiveとは「考え方、見方」や「遠近法」という意味を持つ言葉だが、私たちが目指しているのは、まず「医療に対する患者の考え方、見方を提供する」ことであり、同時に「患者視点で医療を遠近法で透視し、患者の目に見えたままの医療を描出する」ことである。また近年、米国FDAなどが中心となって提唱している、新しい患者中心医療評価尺度である「患者報告アウトカム」(PRO)の考え方も念頭に置いている。 続きを読む

クチコミを隠蔽するパターナリズム(「ガラパゴス医療」批判序説)

英国NHSトラストのクチコミ評価サイト

パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉することをいう。日本語では家父長主義、父権主義、温情主義などと訳される。語源はラテン語の pater(パテル、父)で、pattern(パターン)ではない。
社会生活のさまざまな局面において、こうした事例は観察されるが、とくに国家と個人の関係に即していうならば、パターナリズムとは、個人の利益を保護するためであるとして、国家が個人の生活に干渉し、あるいは、その自由・権利に制限を加えることを正当化する原理である。
( Wikipedia 「パターナリズム」)

先日のエントリで、クチコミ医療情報サービスについて基本的な考察をした。特に消費者・患者の病院や医師に対するネガティブ情報を排除・隠蔽するような「クチコミ・サービス」の問題を取り上げたのだが、それでは、これらの背景には一体何があるのだろう。一方でネガティブ情報を排除・隠蔽しながら、他方、自らを「クチコミ・メディア」であると主張すること自体、明らかに矛盾しているではないか。そのように矛盾しながらも、強弁せざるをえないのはなぜなのか。単純に考えられるのは、そこにビジネス上の必要というものがあるからだろう。

まず、ネガティブ情報を書かれた病院や医師からの苦情への対応、あるいは削除要求への処理などに要する人的時間的コストがばかにならないだろう。次に、たとえば製薬業界から広告やペイドパブを誘致するとして、「病院や医師から苦情の出るサイト」という風評が立てば、業界の保守的風土から見て、まず誘致は困難になる。

以上のようなビジネス上の問題が想定されるのだが、それだけではなく、そこにはあからさまに表面化されることのない、医療が抱える特殊な発想への迎合が見え隠れするように思う。それは端的に言ってパターナリズム(家父長主義)である。医療におけるパターナリズムについてWikipediaを引用しておこう。 続きを読む

次世代医療に挑戦するクロスオーバーヘルス

新宿御苑の桜は満開。昼間から花見客で満員。数年前から入場門前で、ガードマンが「荷物チェック」、つまりアルコールの持ち込みチェックをするようになったが、なんとも無粋なものだ。花見酒は日本文化である。少々、羽目をはずそうがいいではないか。中には暴れる人もいるのかなぁ。私ではありませんが。

ところで、スコット・シュリーブ医師といえば、このブログでは何度も登場したおなじみのHealth2.0の論客である。最も早い時期に医師コミュニティ”Sermo”を批判して物議をかもしたりしたが、Health2.0ムーブメントの理論的中心人物として名を上げた。だが、数年前から主だった舞台からは姿を消し、クロスオーバーヘルスと名付けた次世代医療サービスの立ち上げに奔走していたはずだが、二三年前から活動が途絶え、その行方も杳として知れなかったのである。風の便りに「毎日、サーフィンをしているらしい」との噂が聞こえてきたこともあった。

昨年九月だったか、たまたま未明に目覚め、なんとなくスマホでネットをチェックしていると、なんと久しぶりにスコット・シュリーブのブログが更新されているではないか。エントリ・タイトルは”Surf Report”というものであったが、サーファーの彼らしいタイトルだなと思った。二三年前のブログには、マシュー・ホルトらが中心となったHealth2.0を批判する、どちらかといえばシニカルな言説が書かれていたのだが、”Surf Report”には、かなり前向きで活動意欲にあふれた言葉があり驚いた。 続きを読む