メディアを持った闘病者

TOBYOの収録サイト数は現在4万件に近づいている。最初、TOBYOを立ち上げる時点で、私たちはネット上に公開されている闘病ドキュメント(いわゆる闘病記)の数をおよそ3万件と推定した。すでにTOBYOはその数を越えているのだが、今の時点で少なくとも5万サイトがネット上に闘病ドキュメントを公開しているものと思われる。「ネット上のすべての闘病ドキュメントを可視化し検索可能にする」というのがTOBYOプロジェクトのミッションであるが、少しづつその達成が見えてきている。

TOBYOプロジェクトは、闘病ドキュメントを公開している個人サイトやブログからなるネット空間を「闘病ユニバース」と名付け、これを自生的に進化している一種の「自律、分散、協調」型ネットワーク、あるいは開放型仮想コミュニティとみなし、自らをその情報インフラとして位置づけてきたのである。

以前、コミュニティ・リサーチを取り上げた際に、人為的にコミュニティを起動することの難しさとそこに付きまとうバイアスの存在を指摘したが、闘病ユニバースのような自然発生的なコミュニティはこれら問題とは無縁である。まず、コミュニティ自体が自然発生的に成立し、すでに動いている。そして闘病ユニバースを構成する各人は、あくまでみずからの自発性のみに依拠し、各人なりの自由な方法とスタイルでこの仮想コミュニティに「参加」しているからだ。闘病者は、ただ好きなホスティング・サービスやオープンソースCMSを利用して、おもいおもいにブログを書き始めるだけでこの闘病ユニバースに「参加」することができる。否、特に「参加」という意識さえ持つ必要もないのだ。

このブログでは、繰り返しこの闘病ユニバースについて言及してきたのだが、やがて時間がたち、ネットのありようは大きく変わってきている。とりわけTwitterとFacebookの爆発的な普及は、従来の開放的なネットにおける自由なユーザーの活動を、特定のクローズド・サービスへ囲い込むような状況を作り出している。TwitterにせよFacebookにせよ、本来それらは特定のサービス企業が作り出したプライベートな空間であるが、「ソーシャルメディア」との呼称が示すように、それらはあたかもパブリックな空間であるかのように立ち現われている。そして、これら「ソーシャルメディア」の台頭にともなって、パブリックスフィア(公共圏)としてのネットの存在価値はますます忘却されるかのごとくである。


このような新たな状況の中で、はたして闘病ユニバースはどうなっていくのだろうか。まずTwitterやFacebookで闘病ドキュメントが書かれることが想定されたが、現実にはそのようなケースはごくまれにしか起きていないようだ。どうもブログというものが意外に根強く支持されていることが、だんだんわかってきている。特に震災後、新たな闘病ブログサイトの出現件数はかなり増加しているのだ。一方、Twitterを利用する闘病者の数も増えているが、あくまでブログを旗艦として、Twitterのウィジェットをブログのサイドバーに貼るような利用方法が圧倒的に多い。また、Facebookでは赤裸々な闘病体験は書きづらいだろう。知人、友人、同僚に自分の病気罹患を言って回るようなものだからである。

そういうわけで、闘病ブログの数は減るどころか逆に増えている。ブログというメディアと闘病ドキュメントには強い親和性があるからだろう。ブログは「日記」形式つまり時系列で記述できて、量的にも自由がきくため、闘病体験という「不定形でコンテクストを持った情報」を記録するにはうってつけのメディアだからだ。

また、これは以前指摘したことでもあるが、既存のSNSとりわけmixi内部の闘病コミュニティから「ブログへ逃げてきた」と述懐する闘病者は少なくない。どうやらコミュニティ内部の同調圧力や気遣いに疲れ、「もっと自由に気ままに闘病体験を書きたい」ということらしい。FacebookをはじめSNSでは、何か積極的な「コミュニケーション」や「参加」あるいは「ポジティブ・アティチュード」みたいなものを手放しで礼賛するような空気があるが、これらの同調圧力に常にさらされていると、たしかに誰もが疲れてしまうだろう。人間は誰しも、24時間365日、「ポジティブに、積極的に、コミュニケーションに参加する」ことなどできるわけがない。逆に「ネガティブに、消極的に、コミュニケーションに参加しない」ことの自由を尊重し確保することも大切だ。

その意味で「自分のブログ(メディア)を持つ」ことは「SNSに参加する」ということとは違い、自分にあった「コミュニケーションと参加」の自由を手にすることだと思える。たとえば他人とコミュニケーションをしたくなければコメント欄を閉じればよい。現にコメント欄を閉じている闘病ブログは多い。それはそれでよいのだ。反対に、これまで以上に積極的に同病他者とコミュニケーションしたい向きには、ブログを旗艦としてさまざまなメディア武装の方法もある。最近、摂食障害の闘病ブログなのだが、スカイプで同病他者のインタービューを集め、そのビデオを公開するようなブログが登場している。そういえば闘病体験を「患者の語り」で映像配信するというふれこみのNPOサイトはあったが、とうとう患者個人がメディア武装によって闘病体験インタビュー・ビデオを集め配信する時代になったのである。

SNSに参加することを考えると、まずそのSNSの流儀や規範に自分を合わせなければならない。だが、ブログのようなメディアを持つことは、自分のやり方でコミュニケーションすることもしないことも、参加することもしないことも、自由に決めることができる。メディア武装を高度化すれば、これまで個人ではできなかった情報発信さえ実現することができる。

前にポストしたエントリの患者アンガージュマンとは相反することをいうようだが、ネガティブで、投げやりで、人とつながることに消極的で、おまけに何かに参加する気もない闘病ブログに、ひっそりと記された個人の体験と思い。ある意味でこういう言説こそが大切なのではないかと、最近強く思うのである。そして、あらためて気づいたのだが、患者の「アンガージュマン」というよりは、「メディアを持った患者」が登場していることが決定的に重要なのだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.

 


メディアを持った闘病者” への1件のコメント

  1. 「同調圧力に疲れる」 と言うのは、本当によくわかります。facebookでは、「イイネ」を押さなくては!と、ちょっと強制される感じがあります。

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