継続と切断(2.0をめぐって)

Web2.0から始まってHealth2.0にいたるまで、世の中には様々な「2.0」が現われて、ある意味で食傷気味である。振り返ってみると、web2.0が広く注目を集め出した2005年の時点で、もう既に「2.0」が単なる一時的なファッドやバズワーズであるとの批判が、ブロゴスフィアにはあふれていた。Health2.0についても昨年初頭、この呼称をめぐる論争が、ドミトリー・クルーグリャク氏とスコット・シュリーブ氏らの間で起きていたことも思い出される。

たしかにこの「2.0」という言葉には、単なる流行現象の側面があることは否定できないが、当方はこの言葉にもう少し深い意味を読み取っている。この言葉が、時代の「切断」を最も適切に表現し得ていると考えるからだ。われわれの弛緩した日常感覚は、往々にして世の中を「継続」として無条件に捉えている。実際にはすでに終了していることが明白であるにもかかわらず、この「継続」感によってその「終了」の事実と意味が隠されてしまうことがある。

では「2.0」という表現によって、「終了」が宣言されているものはいったい何なのか。それは、要約すれば「20世紀的な経済社会システム」ではないかと思う。つまり、「マスプロダクト、マスセールス、マスコミュニケーション」の「三つのマスの歯車」が噛み合い、猛烈に回転し、大衆消費社会をドライブするという20世紀型システムが終わったのである。

このことをもう少し丁寧に見てみると、まず「三つの歯車」のうちマスプロダクト(大量生産)だが、これはすでに1980年代には多品種少量生産というモノづくりの方法が確立している。それによって、同時に「さよなら大衆」とか「分衆、小衆」といった言説が社会に現れたことも思い出される。次にマスセールス(大量販売)だが、これは百貨店やGMSという大量販売型業態が次々に陳腐化し、CVSやネットショップに代替されてきた流通の業態革新を眺めれば、その「終了」は明白である。最後に残ったのがマスコミュニケーションなのだが、これもまず欧米における新聞メディアの没落を端緒として、その「終わり」は世界的に始まっている。

20世紀型経済社会システムが終わったことを、時代の「切断」として明確化するとき、「2.0」以上に言い得て妙で、しかも汎用性に富む表現はないだろう。だが、世の中の大半の人は、まだ「継続」として時代をとらえている。「三つのマスの歯車」は既に壊れているのだが、社会全体はあたかも何の変更もないような顔をしている。これは終わったはずの前時代の残像が、日常感覚になじむ「継続感」の力を得て、当分の間続くことを意味している。しかし、いずれにしてもこれらは終わってしまったのだ。

そのように考えて医療に目を転じると、Health2.0が宣言している「終焉」は、以上のような20世紀型経済社会システムに対応し、あるいは依存してきた医療システムの「終了」を指し示している。米国で登場しEUにも進出しつつあるリテール・クリニックなどの「新業態」、ジェイ・パーキンソン医師など「Doctor2.0」と呼ばれる新しい医師像の登場、そしてGoogle Healthなどの大規模PHRに至るさまざまな新たなる試行は、前時代の医療との「切断」を個別に鋭く切り出しているのである。それら「切断」が意味する全体像が、まだはっきり見えてきていないとしても。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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