昨日の続きだが、日本のHealth2.0というものはまだない。私たちのTOBYOをはじめ、いくつかの新しい試行が始まっているとはいえ、それはまだ米国のHealth2.0ムーブメントのようなパワーを持つには至っていない。ついでに言えば、このHealth2.0という言葉自体が、まだまだ一般的に日本で語られることは少ないのである。おそらくこの当方ブログが、Health2.0関係のニュースを日本で一番多く発信しているはずだ。欧米ではレガシーメディアまでがHealth2.0をしばしば取り上げているが、日本では今のところ皆無である。
どうしてこのような「情報格差」が日本と世界の間で生じてしまったのだろうか。これにはさまざまな説明が可能だろうが、前から気になっているのは「2.0の受容性」という問題である。多かれ少なかれ、Health2.0がweb2.0のインパクトを受けて登場してきたのは間違いないと言えるだろうが、そのweb2.0の受容の仕方が日本と欧米では何か違っていたのではないかと思う。日本の場合、web2.0は非常に皮相なレベルの理解として受容され、流行現象として消費され、早々に終わってしまったのではないだろうか。しかも社会全体ではなく、非常に限定的な層にしかweb2.0の持つ意味は受容されなかったと思う。特にアカデミズムをはじめエスタブリッシュメント層には、ほとんどさしたる影響を与えることもなく無視された可能性が高い。「況や医療においてをや」である。
米国においても、医療はWeb2.0の影響が一番遅れた分野である。しかも、もう2009年であるから、「いまさら2.0でもないだろう」というムードもある。Health2.0という言葉自体に、何か「周回遅れの先頭ランナー」に近いニュアンスが付きまとうのはやむをえない。だが、それでも米国のHealth2.0ムーブメントはWeb2.0の流行廃りに関係なく、着実にパワーを蓄え、米国社会と医療に影響力を持つ段階にまで来ている。それは先行するweb2.0が指し示した世界観を十分に咀嚼受容し、共感した上で、医療という分野にこそ展開しなければならないという共通認識が、少なくない人々の間に確立しているからだと思う。もともと医療とweb2.0は非常に親和性が高いとも思える。
だが、web2.0は日本の医療界で果たしてその一端でも受容されただろうか。そう考えると悲観的にならざるをえない。欧米の医療界を見ると、ここ数年、医療機関、大学、医療図書館、医療ジャーナリズムなど、広範囲にソーシャルメディアの活用が試みられてきた。web2.0は否応なく欧米の医療界に浸透してきている。ところが日本の医療界では「ナッシング」と言ってよい状態だ。
だが一方では、こんなことをぼやいて見ても始まらないとも思う。たとえば、日本の病院サイトの品質は悲惨な状態にあるが、これを嘆くひまがあるなら、とにかく自分たちで実際に動くサービスを作ってユーザーに提供する方が早い。Health2.0がないのなら、自分たちで作ってしまうだけだ。他人に期待するから失望もする。日本では、最初からまったく何も期待しないのが賢いのだ。
三宅 啓 INITIATIVE INC.