近未来に、SNSは空気のようなものになる?

以前から、当方がよく読んで参考にしているSteve Rubel氏のブログ「Micro Persuasion」に、“The Promise and Peril of Ubiquitous Community”というエントリがポストされた。来週号AdAge誌のコラムに掲載されるようだが、SNSを中心に近未来のウェブ進化を論じたものである。

このエントリでは、今日のSNSが実現しているようなソーシャル機能が、やがて「ウェブ全体のソーシャル化」によってユビキタス化される、というビジョンが提起されている。つまり、特定のSNSサイトを訪問することによって提供されているソーシャル機能やコミュニティ機能が、いずれ「空気を呼吸するように」、ウェブ上のどこにユーザーがいようとも、いつでも即座に利用できるようになるはずだと予測しているのである。 続きを読む

二つの闘病記: リアルとウェブ

ReadWriteWeb2

一年半ほど前になるが、このブログの初期段階で、ウェブ上の闘病記についての考察をまとめてポストしたことがあった。現在でもそうだが、あの頃もウェブ闘病記に対する過小評価というものが存在し、これをなんとかしたいという思いに駆られて書いた。出版された「リアル闘病記」に対し、ウェブ闘病記の方は、何か価値が低いように見られていることに対して反論したい、という気持ちが働いていたのである。

今も、リアル闘病記とウェブ闘病記の比較について聞かれる機会は多い。「リアルが本物だ」という先入観は今でも抜きがたく存在するのだが、そろそろ、「ホンモノの代替物」というようなウェブ闘病記に対する古臭い見方を変えてもよいのではないか。ウェブがリアルを再現する代替空間ではないように、ウェブ上の闘病記もリアル闘病記の代替物ではなく、すでに独自の存在を確立していることを正当に評価すべきだと思う。 続きを読む

ベンチャー的思考とは何か

VentureWay

世間は「大型連休」。天気も良いし、今日の新宿御苑周辺はのどかな空気が流れている。ワインとサンドウィッチをバスケットに入れて持ち出し、御苑の芝生の絨毯の上で広げ、気持ちの良い風に吹かれたいところであるが・・・。ベンチャー企業としては、しかもベータ版公開準備中の身としては、ゴールデンウイークもへちまも関係ない。ひたすら愚直に仕事を進めるのみ。

もとより、ベンチャー企業というビジネス・スタイルをどのように定義しても勝手だが、結局、ある一つの焦点を定めてこだわり、愚直な一点突破をはかることに尽きるのではないかと最近考えてみたりする。最初は、誰しも、新規ビジネスが醸し出すある種のロマンを語ったり描いたりするのだろうが、やがて余分な装飾は剥落していき、ビジネスは「ここを掴むしかない」という裸形の一点に収斂されて行く。つまり、最後に残るただ一つの流儀は「リアリズム」しかないはずなのだ。 続きを読む

「第三者機関による医療サイト認証」という虚構

HON

今朝の朝日新聞を開いてみると、「携帯電話の閲覧制限、第三者機関設立、客観性担保が課題」という記事に目がとまった。現在進められている、自民党・民主党によるネット規制法案制定の動きも気になるが、では果たして、このような「第三者機関」による「サイト認証」が、国家規制よりもベターであると言えるのだろうか?。

そんなことを考えているうちに、ある記憶がよみがえってきた。二-三年前、ある大手医療機関チェーンの幹部と話をしていたのだが、その時、「ウチは今度、第三者機関のサイト認定を受けることにした」という幹部の発言があった。その発言の中で、とりわけ「第三者機関」という言葉に、妙な力感を込めた不思議なニュアンスがあったことが思い出される。それはあたかも「第三者機関」という言葉が、ただならぬ魔法の権威を象徴しているかのごとくであったのだ。医療者にとって「第三者機関」という言葉は、どうやら絶大な威力を持っているらしい。 続きを読む

ウェブと医師は競合するのか?

doctor

かつて2001年に、AMA(米国医師会)は「オンライン医療情報は、決して医師が積んできた経験やトレーニングに取って代わるものではない」と述べ、ウェブ上の医療情報に基づく自己診断や自己治療の危険性を強く社会に警告したことがあった。このAMAメッセージは「チャットルームよりも医師を信頼せよ」などのわかりやすいフレーズに翻案され、米国社会に広く知られるところとなった。

だが当然、これに対する反発もわきおこった。たとえばそれは「AMAはRIAAと同じく、前時代の遺物だ」などの言説であり、当時、世界的な拡大の途上にあったインターネットに対応できない、「レガシー業界」として医療界を批判するものであった。ちなみにRIAAとは米国レコード協会の略である。 続きを読む