二つの闘病記: リアルとウェブ

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一年半ほど前になるが、このブログの初期段階で、ウェブ上の闘病記についての考察をまとめてポストしたことがあった。現在でもそうだが、あの頃もウェブ闘病記に対する過小評価というものが存在し、これをなんとかしたいという思いに駆られて書いた。出版された「リアル闘病記」に対し、ウェブ闘病記の方は、何か価値が低いように見られていることに対して反論したい、という気持ちが働いていたのである。

今も、リアル闘病記とウェブ闘病記の比較について聞かれる機会は多い。「リアルが本物だ」という先入観は今でも抜きがたく存在するのだが、そろそろ、「ホンモノの代替物」というようなウェブ闘病記に対する古臭い見方を変えてもよいのではないか。ウェブがリアルを再現する代替空間ではないように、ウェブ上の闘病記もリアル闘病記の代替物ではなく、すでに独自の存在を確立していることを正当に評価すべきだと思う。

Web闘病記に盛り込まれてある情報は、闘病体験を記した通常の意味の闘病記はもちろんのこと、それ以外に、検査データ、検査写真、医療費明細、食事記録、薬物写真、病室写真、医学情報など、さまざまなデータが記録されているのです。そこには、闘病者が病気と闘う際に必要な情報を、細大漏らさずWeb上に、一箇所にまとめて記録しておこうという意図が見えます。つまり闘病記というよりも、闘病情報集積拠点と言ったほうが、闘病サイトの性格をより適切に表現できるのであり、闘病記はその中の一部のコンテンツを指すといったほうがよさそうです。
「闘病記の考察6:闘病記から闘病サイトへ」

上記は、かつて「闘病記をこえて」という見出しのもとに書いたものである。ここで言いたかったことは、われわれが通常イメージしているようないわゆる「闘病記」でもって、ウェブ闘病記を捉える事が最早できないということだ。また、ウェブ闘病記に収載された情報の多彩さを取り上げて、従来闘病記との差異を説明しているが、そのほかに双方向のコミュニケーションやネットワーキングというウェブの特徴が加えられよう。このように、「時間軸上にリニアに配列された物語」という古典的な闘病記観を、ウェブ闘病記は再現するものではなく、超えていくものである。

そもそも闘病記は物語ではない。それは闘病者に体験された事実である。その事実に読者が「物語性」を読み込むことは勝手だが、本来、それは「事実」として、端正な語り口で記述されているべきもののはずだ。だがウェブ闘病記においては、記述するのは「作者」だけでもない。コメント、トラックバックでさまざまな関係者が、作者の単線的記述に介入し、単一体験は複合化され、単一の語りは多声的な対話へと逸脱する。つまり、「単一体験の語り」は「複合体験の共有」へと転化する。

このように考えるなら、リアル闘病記とウェブ闘病記はまったく別物であるはずだ。前者は単一者によって固定化されたパッケージであり、後者は複数者によるコミュニケーション装置である。

(Photo: Leigh Blackall , Networked Learning)

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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