成熟と老成

エスタブリッシュメント企業やメディアの方々と話をしていて、時々、まったく話が通じないことがある。インターネットに対し、いまだに妙な偏見を持っていることがわかり、シラけてしまうことも多い。予断や偏見はまだ根強く存在するのだ。

TOBYOは闘病サイトに公開された闘病者の知識や体験を活用するツールであるが、なぜかエスタブリッシュメント企業の方々は偽装闘病サイトなどに強い関心を示し、「偽装サイトをどうやって排除するのか」について執拗に聞かれることがある。まるで「ネット上にユーザーが公開したコンテンツなんか信用できるものか」と言わんばかりなのだ。つまりネガティブな粗さがしに熱心で、予断を正当化するような事実だけに注意を向けるような方々が多いのだ。 続きを読む

知識情報の構造化

昨日のエントリでは「ここまで来ると、更にもっと可視化を進め闘病ネットワーク圏の全体像をとらえることができればと思う」と書いた。これは現時点での正直な感想である。だが、これとはいささか矛盾するかもしれないが、情報の単なる量的拡大だけで胸を張って「良いサービス」と言えるかと考えると、必ずしもそうではないだろう。

年初から、TOBYOトップページに「患者の叡智(Wisdom of Patients)」というスローガンを掲げている。これは、闘病ネットワーク圏に蓄積され共有された大量の知識と体験のことを指している。もちろんまず、この膨大な「知識と体験」をすべて可視化し利用可能とすることを、私たちは目指している。だがその次に、膨大な知識情報を利用しやすい形に構造化しなければならないだろう。TOBYOには、たとえば「乳がん」や「うつ病」のように800を超える闘病サイトを擁する疾患もある。これらを単純にリスト提示しただけでは、かえって利用しずらくなることもあり得るだろう。大量の知識情報に何らかの秩序を与え、ユーザーの利用目的に最適化されるような構造化が、いずれどうしても必要になるのだ。そのための最初の具体プランもすでに検討済みで、検索エンジンのパワーアップが終わり次第早く着手したい。 続きを読む

闘病ネットワーク圏のインフラツールとしてのTOBYO

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TOBYOの収録闘病サイトが今日で12,000を超えた。以前、ウェブ上の闘病ネットワーク圏の規模をおおよそ3万サイトと推計したことがある。これが正しいとすると現時点で全体の約40%を可視化したことになるが、ここまで来ると、更にもっと可視化を進め闘病ネットワーク圏の全体像をとらえることができればと思う。一つでも多くの闘病サイトを紹介したいのだ。

TOBYOが目指してきたものは非常にシンプルである。まず、ネット上のどこにどんな闘病サイトがあり、どんな情報があるかを可視化することであり、次に、それら闘病サイトの情報を縦横無尽に検索できるようにすることであった。たとえば、GoogleやYahooなどの検索ツールがネット全体のインフラツールになっているように、TOBYOは「闘病ネットワーク圏のインフラツール」になることを目指している。 続きを読む

「安全、安心、安定」の内向的日本

今月10日にブログ検索(テスト版)を追加公開したTOBYO事典。おかげさまでユーザーの皆さんから大きな反響をいただいている。年末も正月もすっ飛ばし、狂気のような集中突破をはかった甲斐があるというものだ。だが、検索エンジン改良の仕事はこれからだ。当面はデータ取得量を増やすことから着手。

ところで昨年末から検索エンジンの仕事に取り組んでいる間に、世の中は、妙に内向的で保守的な言説があふれはじめているようだ。このことは「2009年、この国の希望」でもふれてあるが、その後も途切れる気配はない。だいたい、麻生首相が国会答弁などで、何回も繰り返してうなっている「安心、安全な日本」というフレーズだが、これこそまさに昨今の「内向保守志向」を凝縮したようなものである。 続きを読む

医療情報の流動性とベンチャー

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寒い日が続く。乾燥し大気が澄んでいるせいか、富士がやけにくっきりと、手が届くような近さに見える。

さて昨日のエントリ「医療情報の流動性」だが、考えてみれば当方のTOBYOにしても、患者をはじめ闘病者の体験情報の流動性を高めフローを促進するためのツールと言えなくもない。従来、闘病体験は患者とその家族や知人周辺でしか共有されていなかった。闘病体験情報は特定の個人とその周辺に貼りついて固定化されていた。それがネットワークに配信されるようになると、それら情報は流動性を獲得し、個人を越えてフローし、社会全体で共有される可能性を持った。つまり個人的な体験がネットによって社会化されたのである。別の言い方をすれば、個人的な体験がパブリックな価値を持つようになったのだ。そしてTOBYOは、この社会化された闘病情報の流動性とそのパブリック価値をさらに高め、より多くの人に活用されるためのツールをめざしている。

あるいは医療提供側の医療情報フローが現状では十分でないために、患者体験のフローを通じて医療の可視化をはかるプロジェクトであるとも言える。本来なら昨日のレポートにもあるように、「患者と医療機関の間の医療情報フローとコミュニケーションの強化」をはかるべきなのだろうが、圧倒的に医療機関側が情報コントロール権を握っている日本の現状ではむつかしい。 続きを読む