改革ドライビングフォースとしての医療消費者

RedefiningHealthcare

昨日(6月22日)、朝日新聞に「医療再生へ—危機感共有 あとは実行」という記事が掲載された。日曜日の朝食を食べながら、一通り記事を眺めたのだが、全体としては何か散漫な印象しか残らなかった。医療関係の識者二名と朝日側の論説からなる三つのパートが、何もほとんど噛み合うこともなく並置されており、結局のところ、どんな意図でこの記事が作られたのか首をひねらざるを得なかった。

その「散漫な印象」の原因は、「医療再生」という共通テーマがありながら、結局それを掘り下げて議論するための共通テーブルが設定されておらず、それは「編集」の側の問題が大きいと言えるだろう。つまりここに登場している三者が、同一テーブルではなく、それぞれ自分専用のテーブルに陣取って顔を見合わせることもなく、てんでに物を言っているような、そんな空々しさを感じたのである。 続きを読む

インターネットのある時代

「闘病体験の共有」という自分たちのテーマを設定し、そしてそれをTOBYOというツールに具現化する過程で、様々にご意見やご批判をいただいてきている。そして「やはり」と言うべきか、「無法地帯としてのインターネット」という「お決まり」のネット観に基づく懸念の表明に何回か遭遇した。それらはたいてい「匿名、スパム、炎上」など、いわばネット批判のクリシェ(紋切型)とも言うべきワードに集約されるのが常である。このブログの初期に、出版で供される闘病記を持ち上げながら、一方ではネット闘病記の価値を貶めるような発言をしている評論家柳田邦夫氏を批判したことがあったが、これらネットに対する偏見はいまだに根強く社会に存在している。ネット闘病記に対し、いまだに「匿名性」を問題にしている医療界の研究者もいるようだ。 続きを読む

継続と切断(2.0をめぐって)

Web2.0から始まってHealth2.0にいたるまで、世の中には様々な「2.0」が現われて、ある意味で食傷気味である。振り返ってみると、web2.0が広く注目を集め出した2005年の時点で、もう既に「2.0」が単なる一時的なファッドやバズワーズであるとの批判が、ブロゴスフィアにはあふれていた。Health2.0についても昨年初頭、この呼称をめぐる論争が、ドミトリー・クルーグリャク氏とスコット・シュリーブ氏らの間で起きていたことも思い出される。

たしかにこの「2.0」という言葉には、単なる流行現象の側面があることは否定できないが、当方はこの言葉にもう少し深い意味を読み取っている。この言葉が、時代の「切断」を最も適切に表現し得ていると考えるからだ。われわれの弛緩した日常感覚は、往々にして世の中を「継続」として無条件に捉えている。実際にはすでに終了していることが明白であるにもかかわらず、この「継続」感によってその「終了」の事実と意味が隠されてしまうことがある。 続きを読む

「闘病ネットワーク圏」の先進性

CarePages

9日(月曜)のワシントンポストに「Patient Web sites used for news, support in crisis」という記事が掲載された。ここで紹介されているのはCareBridgeCarePagesで、当方ブログの以前のエントリで紹介済み(ここここ)だが、両者とも患者簡易サイトのホスティングサービスとして古参と言ってもよいだろう。CarePagesのほうは、スティーブ・ケース氏率いるRevolutionHealthに買収されたようだ。

このワシントンポストの記事を一読して思ったのは、なぜ今頃、CareBridgeやCarePagesを取り上げるのだろうかという素朴な疑問である。TOBYOで闘病記にフォーカスしている当方の目から見ると、CareBridgeもCarePageも、どちらも闘病サイトのホスティングサービスを提供しているわけだ。たしかにブログが登場する以前には、両者とも「簡易ホームページ」を提供してくれるサービスとして、それなりの利用価値はあっただろう。だがブログ登場以降、これらのサービスは明らかに陳腐化しているはずなのだが、それが、いまだにワシントンポストの「ニュース」になっていること自体、不思議に思える。 続きを読む

世界へ

transborder

春先に出た海部美知さんの「パラダイス鎖国—忘れられた大国・日本」は多方面で話題になっているが、当方も一読し様々に考えるヒントをいただいた。しかし先週、ある席でTOBYOの今後の計画について、「当面、TOBYOのバーティカル検索対象を、全病名、闘病サイト5000、インデクシング100万ページへ持っていくことに注力したい」と説明したところ、「ではその後、世界へ出て行かれるのですね」とのお言葉を頂戴した。それは正直のところ、当方がまったく予期せぬ質問であった。では、なぜ予期していなかったのかと言えば、まさに当方自身が「パラダイス鎖国」の住人でありその発想に囚われていた、というほかない。 続きを読む