闘病サイトをチェックしていると、時に寸鉄人を刺す鋭い言葉に出会うことがあり、思わず引き込まれて読みふけることも少なくない。最近、たまたま出くわした肺がん患者のサイトには、医師から癌告知を受けた直後に次のような言葉が記されていた。 続きを読む
カテゴリーアーカイブ: 雑記帳
「安全、安心、安定」の内向的日本
今月10日にブログ検索(テスト版)を追加公開したTOBYO事典。おかげさまでユーザーの皆さんから大きな反響をいただいている。年末も正月もすっ飛ばし、狂気のような集中突破をはかった甲斐があるというものだ。だが、検索エンジン改良の仕事はこれからだ。当面はデータ取得量を増やすことから着手。
ところで昨年末から検索エンジンの仕事に取り組んでいる間に、世の中は、妙に内向的で保守的な言説があふれはじめているようだ。このことは「2009年、この国の希望」でもふれてあるが、その後も途切れる気配はない。だいたい、麻生首相が国会答弁などで、何回も繰り返してうなっている「安心、安全な日本」というフレーズだが、これこそまさに昨今の「内向保守志向」を凝縮したようなものである。 続きを読む
医療情報源としてのインターネット
日曜日(1月18日)は映画「チェ28歳の革命」を観るために、朝から妻と新宿へ出向いた。この映画、淡々と進行する抑制の利いたドキュメントタッチの作り方が気に入った。チェ・ゲバラは言わずと知れた「世界革命の時代」のイコンであるが、たしかに今の時点で彼とその時代を映像化するとすれば、このような撮り方しかないはずだ。彼を取り巻くドラマチックな「伝説」をではなく、日常を積み上げた「事実」を淡々と語るしかない。「世界革命」という物語が終わってしまったのだから。 続きを読む
医療情報の流動性とベンチャー
寒い日が続く。乾燥し大気が澄んでいるせいか、富士がやけにくっきりと、手が届くような近さに見える。
さて昨日のエントリ「医療情報の流動性」だが、考えてみれば当方のTOBYOにしても、患者をはじめ闘病者の体験情報の流動性を高めフローを促進するためのツールと言えなくもない。従来、闘病体験は患者とその家族や知人周辺でしか共有されていなかった。闘病体験情報は特定の個人とその周辺に貼りついて固定化されていた。それがネットワークに配信されるようになると、それら情報は流動性を獲得し、個人を越えてフローし、社会全体で共有される可能性を持った。つまり個人的な体験がネットによって社会化されたのである。別の言い方をすれば、個人的な体験がパブリックな価値を持つようになったのだ。そしてTOBYOは、この社会化された闘病情報の流動性とそのパブリック価値をさらに高め、より多くの人に活用されるためのツールをめざしている。
あるいは医療提供側の医療情報フローが現状では十分でないために、患者体験のフローを通じて医療の可視化をはかるプロジェクトであるとも言える。本来なら昨日のレポートにもあるように、「患者と医療機関の間の医療情報フローとコミュニケーションの強化」をはかるべきなのだろうが、圧倒的に医療機関側が情報コントロール権を握っている日本の現状ではむつかしい。 続きを読む
今年もこだわっていくこと
先週末予告した通り、1月10日土曜日にTOBYO事典のブログ検索サービスを公開することができた。収録闘病サイト数も1万1千件を超え、これで当初から構想してきたTOBYOの基礎は一応出来上がってきたと言える。闘病ネットワーク圏がどの程度の大きさを持っているかはわからないが、TOBYOがこの闘病ネットワーク圏のディレクトリや検索エンジンとしての役割を果たすことができれば、あるいは闘病ネットワーク圏を構成するサイトや闘病者の交流促進に寄与できれば、これ以上に嬉しいことはない。 続きを読む