医療へ向けられた新しい視線

佐々木俊尚さんの「ネットがあれば履歴書はいらない」(宝島社新書)には、医療に関するネット利用の問題もいくつか取り上げられていて興味深い。たとえば「プライバシー問題」などについても、「ネット上に自分の病気を公開することのメリット」を強調するなど、世界的な新しい動向を踏まえた記述があり、これまでの医療関係類書にはない「ネット的」な視点が随所に見られ好感を持った。

同書に紹介されたロバート・スコーブルの“Health privacy is dead. Here’s why:”はこのブログでも一年前のエントリ「医療プライバシーは死んだ」 で取り上げたが、たしかに今日のネットではプライバシーを公開するメリットのほうがデメリットを上回る事態が現実のものとなってきている。現にPatientsLikeMeなどはこのような情況を先取りして立ち上げられたサービスであり、従来の硬直的なプライバシー観のもとでは許容されることさえなかったはずだ。同書に指摘されているように、「プライバシー」は普遍的概念ではなく歴史的所産であり、時代の要請によって変化していくものだ。 続きを読む

懐かしい未来


このビデオは1950年代にカイザー・ファウンデーションで作られた「未来の夢の病院」イメージだ。「患者記録は事前にドクターの手元に届く」とのアナウンスで、患者記録ペーパーがプラスティックの筒に入れられパイプに投げ入れられる模様が紹介されている。そう言えば昔、国会図書館でこれと同じ「通信手段」が使われていたのを見たことがある。当時としては先進的な館内連絡方法だったのだろう。

だが、何といっても驚かされるのは「赤ちゃん抽斗」ではなかろうか。母親のベッドサイドにある「抽斗」から、無造作に赤ちゃんが取り出されるのにはびっくりした。父親が待合室でタバコをふかしているシーンも、今日からみれば違和感が強い。

およそ60年前の「未来医療」イメージはどこか懐かしい雰囲気を漂わせながら、それでいて別世界を覗いているようなカルチャーギャップを感じさせる。このいわく言い難い微妙な「ずれ」感は、60年後の「未来」から見ている我々の視線によって生じているのだが、さらに我々を未来から見ている「背後の視線」に気づくと同時に、どのような時代のどのような「未来像」にも常にこんな「ずれ」感が生起することを教えている。

三宅 啓

二月の終わりの雑感

二月も今日で終わり、明日から三月。TOBYOプロジェクトはDFC商品化の取り組みを開始している。昨年末からTOBYO事業化フレームをまとめ上げてきたが、それも細部の具体化とテスト運用の段階に来た。

TOBYOプロジェクトのミッションは「ネット上のすべての闘病体験を可視化する」ことであるが、DFC商品化などはこのミッションをさらに次のフェーズに進化させることを要請しているのかもしれない。次のフェーズとはおそらく「可視化した闘病体験によって医療を可視化する」ということになるだろう。単に個人の体験を可視化するだけでなく、さらに医療の構成要素(医薬品、機器、治療法、医療機関等)を複数の体験によって可視化するようなイメージである。

その際、どうしても「闘病体験のデータ構造」の考察が重要になる。それについても先週、私たちはかなり前進することができた。いずれにせよ「闘病ユニバース」と私たちが呼んでいる知識と体験の集合体から、どのように役に立つデータをdistillするかが問題だ。 続きを読む

ワイヤレスな未来医療


今週、Intel、GE、MayoClinicが共同して在宅医療実験プロジェクトに取り組むとの発表があった。これまで「遠隔医療-在宅医療」の実験プロジェクトは米国でも日本でも数え切れないほど立ち上げられたが、さしたる成果もあげられずにいつのまにかフェードアウトしていった。今回の三者共同プロジェクトは、対象者が高リスクを持つ高齢慢性疾患患者と発表されており、これまでの遠隔医療プロジェクトとは若干趣が違うようだ。

ところでこれまで「遠隔医療」と言えば、ほとんどが「在宅医療」のことを意味していたわけだが、ここへ来てこれまでの固定観念をくつがえす新しい考え方が提起され始めている。それは「計測センサー→スマートフォン→医療機関」のような新しいデータ経路を持ち、場所と時間にとらわれない常時モニタリングを可能にする遠隔医療システムである。計測センサーとスマートフォン間はBluetoothでワイヤレス接続され、スマートフォンがセンサーとネットを結ぶ拠点となるわけだ。 続きを読む

固定観念を疑え

question

ひとくちに「インターネット医療サービス」といっても、実際にそれを存続可能な形で運営していくのは容易ではない。そのことはインターネット初期から今日まで、日本の医療分野のインターネットサービスの消長をざっと眺めてみればわかることだが、それでも実際に体験してみなければわからないことも多い。TOBYOの場合も「おそらくこうだろう」とあらかじめ予測のつくこともあったが、まったく予想外の展開も多かった。

だがなんといってもTOBYOのようなプロジェクトは、国内にも海外にもどこにも似たものがなかったので、ある意味で気楽に思いきったことができたのではないだろうか。「ビジネスモデル」という点では当初からいろいろな人から質問を受けたが、「まぁ、いわゆる広告モデルです」みたいなゆるい話でお茶を濁してきたのである。だがそのうちに、「アクセス向上→媒体価値向上→広告獲得」のような通常誰しも思い描くストーリーだけでは、おそらく医療分野ウェブサービスの成立を支えることはできないだろうと思い至った。 続きを読む