固定観念を疑え

question

ひとくちに「インターネット医療サービス」といっても、実際にそれを存続可能な形で運営していくのは容易ではない。そのことはインターネット初期から今日まで、日本の医療分野のインターネットサービスの消長をざっと眺めてみればわかることだが、それでも実際に体験してみなければわからないことも多い。TOBYOの場合も「おそらくこうだろう」とあらかじめ予測のつくこともあったが、まったく予想外の展開も多かった。

だがなんといってもTOBYOのようなプロジェクトは、国内にも海外にもどこにも似たものがなかったので、ある意味で気楽に思いきったことができたのではないだろうか。「ビジネスモデル」という点では当初からいろいろな人から質問を受けたが、「まぁ、いわゆる広告モデルです」みたいなゆるい話でお茶を濁してきたのである。だがそのうちに、「アクセス向上→媒体価値向上→広告獲得」のような通常誰しも思い描くストーリーだけでは、おそらく医療分野ウェブサービスの成立を支えることはできないだろうと思い至った。

そして紆余曲折を経て、「DFCライブラリー」のようなデータに基づくサービスへとたどり着いたのであるが、これは二年前にはほとんど予想だにできなかった展開である。この間、もしも私たちが「闘病記」という手垢の付いた固定観念に安住してしまい、単に「闘病記」を鑑賞してその「感動」を表白することに耽溺し、それら闘病ドキュメントの性質を徹底的に考察してみることがなかったなら、私たちはまだ「出口なし」のトンネルの暗闇をさまよっていたに違いない。このブログで「闘病記」という固定観念を解体しようとして、何度も「脱闘病記論」エントリを執拗に書いてきたのも、「出口」を探すための必死のあがきであったと今にして思うのである。

そのようにしてしか「新しいもの」を生み出すことはできないのだと、幸いにも学ぶことができたわけだが、これからも旧来の「固定観念」を疑い続けることによってしか前進はないと思っている。たとえば、これから膨大な闘病体験によって医療分野の固有名詞(医薬品、医療機関、治療法等)を可視化していくことになるが、ある意味でこれは数年前から流行り始めた「ブログリサーチ」とかなり似た仕事になる。しかしよく考えてみると、通常のブログリサーチの手法を踏襲しただけでは、これら医療分野の固有名詞を闘病体験から可視化することはできないことは明らかだ。

ブログや個人サイトに書かれた闘病体験ドキュメントから何をどう抽出し、例えば個別の医薬品に当てはめ、どんなふうに可視化するか。このことについても、私たちは今までにないまったく新しいアプローチをするつもりだ。そのための基本アイデアもできている。
TOBYOアルファ版公開から二年経った。この二年間、ひたすらデータ収集に努めてきたのだが、ようやくそのことが実を結ぶ地点まで来たと思う。近々、収録サイト数は2万件に達するが、ここまで来て「最低限、これくらいのサイズがなければ何もできないのだ」とやっと気づくことができた。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>