Google Health:ストレージ機能強化とアドバンス・ディレクティブス

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先週、GoogleはGoogle Healthのストレージ機能強化を発表した。これによってユーザーは、PDF、イメージ、オーディオ、ビデオなど、各形式の自分の医療記録ファイルを自由にアップロードできるようになる。特に紙の医療記録がまだ多いので、これらをスキャンしPDFファイルでGoogle Healthにしまうことを、Googleではユーザーに勧めている。現状は紙記録から電子記録への移行期に当たり、このようなサービスが必要だと判断したようだ。ちなみに以前、紙の医療記録をファックスで集約するようなPHRサービスがあったが、その後あれはどうなったのだろうか?。

今回の機能強化によってユーザーに割り当てられるストレージ容量は100メガ。各ファイルサイズは4メガ以下という制限が設けられている。大きな画像診断ファイルなどは大丈夫なのか?。ところでGoogleはこのストレージ機能強化と同時に、「アドバンス・ディレクティブス」(advance directives)サービスの発表をしている。 続きを読む

The Other Side of The Blog

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米国で先月22日から立ち上げられた「医療情報の権利宣言」サイトだが、その後、宣言支持表明者は1000名を越えたようだ。(「権利宣言」については以前のエントリを参照のこと)。宣言支持表明とともに書き込まれたコメントには、医療情報請求の現状に対する不満が数多く指摘されているようだ。医療機関に対し自分の医療情報であるカルテ等情報を請求しても、スピーディーに対応してもらえず、しかもコピー代金を取られるからである。

自分の医療情報を入手するのに、早くて一か月、へたをすると三か月以上も待たされるのみならず、コピー一枚に付き1ドルが請求されるのである。この驚くべき官僚主義的対応の原因として、HIPAA法(Health Information Portability and Accountability act)の存在を指摘する声が日増しに高まっている。「権利宣言」の発案者の一人であるアダム・ボスワース氏(GoogleHealthの前開発責任者)は、「HIPAAは1996年に作られた法律であり、今日の情報技術に適応していない」と批判しているが、このHIPAA法が官僚主義的対応を温存する法的根拠になっていることは事実であるようだ。 続きを読む

第二ステージへ

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TOBYOの見直しを進めている。先月のエントリでは今年後半の目標などについて触れたが、その後、それら従来計画も含め見直すことにした。最近の一連のエントリを見れば、TOBYOの変化をなんとなくわかっていただけるかもしれない。今月からTOBYOは、第二ステージへ向け動き出した。 続きを読む

闘病体験を「物語性」の封印から解放せよ

昨日エントリで、闘病ドキュメントに対する当方の見方の変化について書いたわけだが、結局のところ闘病ドキュメント自体に関与していかなければ、TOBYOが「体験事実とデータ価値」に向けてその利用方法を進化させていくことはないと思う。現在の闘病ドキュメントはネット上に分散して存在している。当然、分散した情報を分散したまま利用するのがネット的なありかたなのだが、そうはいっても検査データの記録方法などは統一しておかないと、多くの闘病者の体験事例を数値データで集約し統計分析することはできない。つまり本当の意味での「データベース」としての使い方ができないわけだ。

現状は、たくさんの闘病者がネットで情報を公開していながら、それらサイトに蓄積されたデータを集計したり相互比較したりすることもできない。せっかく有用なデータがあるのに、それらを効率的に利用する方法が開発されていないのである。物理学者の戸塚洋二さんなども、実はその点を指摘していたわけだが、これを解決するためにはPHRと合体したような闘病サイトサービスを開発し、そこでデータを記録しながら闘病ドキュメントを書いてもらうしかないと思う。このような闘病サイトサービスにはさまざまなアプローチ方法があるだろうが、PatientsLikeMeなどはSNSというアプローチを選択しているわけである。 続きを読む

闘病記とPHR

あるテーマで週末から企画書を書いていた。その中で触発される形で、これまで考えてきたことを改めて点検したり、今後の方向性を想定してみたりしていたが、闘病記あるいは闘病ドキュメントについていくつかのポイントを確認できたように思う。

当初このブログは、闘病記とその価値をさまざまな観点から考察していたのだが、徐々にその中身は変わってきたと思う。特にストーリーや物語性という点で闘病ドキュメントを見ることから段々と離れて行き、「体験事実とデータ価値」という側面を重要視するようになってきた。人が「闘病記」に求めるものはさまざまである。だが、米国のPatientsLikeMeなどの影響もあるだろうが、「病気を治すデータ」という見方へと当方の闘病ドキュメント観は変わってきている。人は闘病記を書くために生まれてきたのではない。できれば闘病記を書かずに人生を送った方が幸せだろう。 続きを読む