懐かしい未来


このビデオは1950年代にカイザー・ファウンデーションで作られた「未来の夢の病院」イメージだ。「患者記録は事前にドクターの手元に届く」とのアナウンスで、患者記録ペーパーがプラスティックの筒に入れられパイプに投げ入れられる模様が紹介されている。そう言えば昔、国会図書館でこれと同じ「通信手段」が使われていたのを見たことがある。当時としては先進的な館内連絡方法だったのだろう。

だが、何といっても驚かされるのは「赤ちゃん抽斗」ではなかろうか。母親のベッドサイドにある「抽斗」から、無造作に赤ちゃんが取り出されるのにはびっくりした。父親が待合室でタバコをふかしているシーンも、今日からみれば違和感が強い。

およそ60年前の「未来医療」イメージはどこか懐かしい雰囲気を漂わせながら、それでいて別世界を覗いているようなカルチャーギャップを感じさせる。このいわく言い難い微妙な「ずれ」感は、60年後の「未来」から見ている我々の視線によって生じているのだが、さらに我々を未来から見ている「背後の視線」に気づくと同時に、どのような時代のどのような「未来像」にも常にこんな「ずれ」感が生起することを教えている。

三宅 啓

ワイヤレスな未来医療


今週、Intel、GE、MayoClinicが共同して在宅医療実験プロジェクトに取り組むとの発表があった。これまで「遠隔医療-在宅医療」の実験プロジェクトは米国でも日本でも数え切れないほど立ち上げられたが、さしたる成果もあげられずにいつのまにかフェードアウトしていった。今回の三者共同プロジェクトは、対象者が高リスクを持つ高齢慢性疾患患者と発表されており、これまでの遠隔医療プロジェクトとは若干趣が違うようだ。

ところでこれまで「遠隔医療」と言えば、ほとんどが「在宅医療」のことを意味していたわけだが、ここへ来てこれまでの固定観念をくつがえす新しい考え方が提起され始めている。それは「計測センサー→スマートフォン→医療機関」のような新しいデータ経路を持ち、場所と時間にとらわれない常時モニタリングを可能にする遠隔医療システムである。計測センサーとスマートフォン間はBluetoothでワイヤレス接続され、スマートフォンがセンサーとネットを結ぶ拠点となるわけだ。 続きを読む

闘病ドキュメントを医療評価に活用する

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昨日のエントリをポストした後、何かモヤモヤした気分でDenise Silber氏の「レーティング対ナラティブ」という図式のことを考えていた。そして結局彼が言いたかったことは、「ナラティブという形での医療評価もある」ということに尽きると思い至った。そしてそのことは、この間、当方の問題意識が「闘病記」というパッケージから次第に離れてきたこととも関連すると気づいた。

近年、様々な形で闘病ドキュメントに対する関心が高まってきているが、それらの多くは「闘病記」というパッケージとして闘病 ドキュメントを見たり、「患者の語り」という部分に特別の拘りを示したりするような見方が多かった。本来、どのように見ようと自由なのだが、これらの見方は闘病ドキュメントの可能性を限定し捨象するもののように当方の目には映ったのである。

ネット上に出現した闘病UGCは、紙や映像メディ アにパッケージ化されるような従来の「闘病記」ではない。そこに「作品性」や「物語性」を見るのではなく、闘病者をはじめ医療プロバイダーやサプライヤー など医療関連諸集団に対し、なんらかの実践的な問題解決を生み出す力があると見るべきだ。 続きを読む

医療評価の二つの顔: レーティング 対 ナラティブ ?

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4月6日-7日にパリで開催される“Health2.0 Europe”  の概要が固まってきたようだ。 今回、ヨーロッパ側のホストを務めるのはフランスの医療ITコンサルタント会社Basil Strategies のDenise Silber氏だが、先週「Health2.0ブログ」に「レーティングかナラティブか?それが問題だ」 と題するエントリを寄稿している。

このエントリを一読してみて、まず「レーティングとナラティブ」という対比が当方には意外だった。このような対比が問題提起されたのは、おそらくはじめてではなかろうか。だが、このような対比が持ち出されたのは、あえて「米国vs欧州」という対立図式をつくりだすためではないかと思われる。すなわち

「米国=レーティング」 対 「欧州=ナラティブ」

という図式のもとに、Health2.0議論を豊富化したいとの意図があってのことだろう。

そう考えると一応は納得できるのだが、でははたして「欧州=ナラティブ」というのは事実なのか。Denise Silber氏は、英国の患者による医療機関評価サイト“Patient Opinion”とフランスの“Guide Sante” を「ナラティブ」の実例としてあげている。”Patient Opinion”は初期の当方ブログで紹介したこともあるが、まさかこれが「ナラティブ」つまり「患者の語り」サイトだと考えたことはなかった。 続きを読む

入れ子構造のパターナリズム

matoryoshika

このブログを最初からざっと眺めてみると、当方の興味関心が「闘病記」から徐々に離れてきたことがお分かりいただけるだろう。というよりも、最初から「リアル「闘病記」本の代替物としてのウェブ闘病記」という見方に反撃するために、ウェブ上の闘病サイトの独自な立ち位置を強調していたわけだ。今日では、ブログをリアル日記帳の延長で捉える、あるいはその代替物と見るような人はいないだろう。同様に、ウェブ上に出現した闘病サイトを旧来の「闘病記」の延長で捉えてはならず、両者はほとんど別物であるとの認識を持つ必要があるだろう。

闘病サイトをじっと観察してみると、それが「闘病記」を書く場所ではなく、ネット上でさまざまな情報活動をするための基地という性格があることに気づくはずだ。闘病体験記録はその情報活動の一つの成果に過ぎず、それを闘病者の情報活動総体から分離することは本当はおかしなことだ。つまり、闘病者はいつのまにか自然発生的に、古く狭い「闘病記」というフレームに入りきらない情報活動とコミュニケーションをはじめているのであり、その現実を見ないことには何も始まらない。

そしてこのような闘病者の情報活動やコミュニケーション活動は、それらを「作品」として「鑑賞」するような観点とはまったく無縁であり、純粋に「自分にとって役立つ情報かどうか」によってのみ判断されている。つまり、闘病ユニバースに「作品と鑑賞」という尺度を持ち込むのは、まったくの時代錯誤なのだ。従って「作品」としての完成度ではなく、まったく別の尺度で闘病者の情報活動やコミュニケーション活動の成果は評価されるべきである。 続きを読む