患者SNSの考察 2

PatientsLikeMe1009

前回考察の結論をシンプルに言いかえれば、「闘病ユニバースのサイズが、患者SNSなどのアクティブ・ユーザー数を決定する」ということだ。ここで言う「アクティブ・ユーザー」とは、患者SNSなどで実際に闘病ドキュメントを書いて公開し、積極的に他のメンバーと交流するユーザーのことを指す。

このことは、「闘病ユニバースのサイズ、3万から5万」という数字を上限として患者SNSサービスを組み立てる必要を示しているが、このような窮屈な数字を前提にしなければならないとすれば、患者SNSの事業化は最初から困難になる。

しかし一方で、たとえば我が国の高血圧の患者数は一説によれば4,000万人とも言われ、糖尿病患者数はその予備軍を含めると2,000万人に及ぶとも言われている。このような数字を見ると「3万から5万サイト」という闘病ユニバースのサイズはいかにも少なすぎるように思える。ところが、一般的な疾患別患者数と闘病ユニバースの疾患別サイト数の「違い」に注目しなければならない。TOBYOが採集した疾患別サイト・リストを見ればわかるが、一般的に闘病ユニバースでは、高血圧や糖尿病のようなコモン・ディジーズの闘病サイトよりも、まだ治療方法が確立していないような難病疾患あるいは希少疾患のサイトの方が多いのだ。 続きを読む

患者SNSの考察

MDJ

最近ウェブを巡回していて、ある患者SNSサイトが姿を消していることに気づいた。たしか春先にはまだ活動していたと思うのだが、いつのまに消えてしまったのだろうか。無性に寂しさが募る。残念だ。だがそれと同時に、改めて患者コミュニティの困難さというものを考えてしまう。

ところで当方は「ネット上の闘病サイト3万件」とこれまで推定してきたが、最近は「3万から5万件の間」と言うようになってきている。ゆっくりとだが闘病ユニバースは成長している。だが、この「3万から5万」という数字をどう見るかが問題なのだ。この数字を大きいと見るか逆に小さいとみるかで、闘病ドキュメントなど患者生成コンテンツに基づくウェブ・サービスのあり方は変わってくるのではないか。あるいはこの数字が何を意味しているかを洞察することによって、どのようなサービスが成立可能になるか仮説を組み立てることもできるのではないか。 続きを読む

医療情報と映像

TOBYO_kumamoto

9月20日付熊本日日新聞でTOBYO紹介記事が掲載された。「ルポ、患者・医療者の『今』、ネットに広まる闘病記」と題された連載記事のメインには、闘病ブログ「膵臓がんサバイバーへの挑戦」が取り上げられている。「ブログを書く動機は。『まず、病院に行く時に病気の記録が必要かなと思ったもので。すぐに忘れますからね。それと、遠方にいる兄弟姉妹などに読んでもらうと、いちいち報告しなくてもいいと思って。生きた証とか、そんな大それたものじゃないんです。』」とのブログ作者のコメントにあるように、マスコミにありがちな「感動、涙の押し売り」的センチメント抜きの淡々とした記事のトーンに好感をもった。

TOBYOと合わせて「ディペックス・ジャパン」も紹介されているが、「ただ視聴者が予想していたほどには増えないのが悩み。存在がまだ知られていないのも原因のようだ。『活字媒体で存在をPRして注目率を高めたい』と佐藤事務局長は話している。」とのことである。英国のディペックス本家サイトを見ても、アクセス状況をこのブログでも取り上げたことがあるが、その後あまり改善されていないようだ。以前、「英国ディペックスは月間200万アクセス」とか「英国医療ナンバーワンサイト」などと、ディペックスの人達がいろいろな場所で語っているのを見かけたが、いったいあれは何だったのだろうか。また、どうも「映像による闘病情報」というものを、一度再考する必要があるのではないかと思える。一般的に、なにか文字情報よりも映像情報の方が価値が高いとみなすような「迷信」があるような気がする。これは旧メディア世代に特徴的な傾向であるとも思う。 続きを読む

逆説的所感から医療革命まで

IPS
昨日、「こんにちは、しばらく」と夏が戻ってきた。事務所の窓から外を見ると、大きな蜂がうろうろ飛び回っている。やがてとうとう、ベランダに出していた観葉植物の葉っぱの裏にぶら下がって休憩。この暑さに、蜂もまいっているようだ。しばらくするとトンボまで飛んできて、こっちも観葉植物の上で羽を休めていた。そして、今朝起きて石神井公園を散歩してみると、もう秋が来ていた。

夏から秋へ季節は変わる。依然として、当方はTOBYOプロジェクトとDFC開発に取り組んでいる。先週、ある新聞社から取材を受け、「TOBYOのアクセス状況はどうでしょうか?」と質問された。「まだまだ少ないですよ」との当方の返答に訝しげな表情をしているので、「闘病サイトが月間で何億ページビューもアクセスを稼いだら、それはそれでおかしなことですよ。病気のサイトにそんなに人が集まること自体、あまり良いことでもないでしょう」と続けた。

改めて考えてみるとTOBYO公開以来、私たちはアクセスを稼ぐことにあまり熱心ではなかったかもしれない。広告やSEOをはじめ集客のための手も、何一つ打ってきていない。それよりもジワジワと闘病者の間に浸透し、いづれ徐々に闘病活動に活用されるようになっていけばよい、くらいの考えであった。それにTOBYOはあくまで闘病者をターゲットにしており、無理に健常者まで集める必要はない。また、闘病体験とはある意味で「負の情報」であり、そもそも鉦太鼓で宣伝するような性質のものでもない。 続きを読む

シャガールからピリニャークまで

Shagall

今日は妻と秋の墓参へ行った。父が胃がんで亡くなって早4年。いまだに全摘手術そして縫合不全など一連の治療過程を思い返すと、医療機関に対する一抹の疑念が頭をもたげてくる。だが、もうすでに終わったことである。そしてその後、すべての闘病体験を可視化し検索可能にするTOBYOプロジェクトに着手することになった。これも何かの縁か。

墓参の前に、上野の東京芸術大学美術館で開かれていたシャガール展を見た。今回の展覧会はシャガールのみならずゴンチャローヴァ、マレーヴィチ、プーニー、カンディンスキーなどロシア・アヴァンギャルド・ムーブメントも合わせて紹介するものであった。ゴンチャローヴァの鮮やかなオレンジと深いブルーの印象的な色彩配置、マレービッチの「アルヒテクトン」と呼ばれる仮想建築モデルなど面白かった。だが、今回再認識したのはシャガール作品の情報量の多さである。様々なディテールが重層的に書き込まれており、一枚の絵が多面的な表情を見せ見飽きることがない。妻は一番最後の展示場が気に入ったようだが、なるほど充実した作品が多いのが最後の部屋だった。 続きを読む