9月20日付熊本日日新聞でTOBYO紹介記事が掲載された。「ルポ、患者・医療者の『今』、ネットに広まる闘病記」と題された連載記事のメインには、闘病ブログ「膵臓がんサバイバーへの挑戦」が取り上げられている。「ブログを書く動機は。『まず、病院に行く時に病気の記録が必要かなと思ったもので。すぐに忘れますからね。それと、遠方にいる兄弟姉妹などに読んでもらうと、いちいち報告しなくてもいいと思って。生きた証とか、そんな大それたものじゃないんです。』」とのブログ作者のコメントにあるように、マスコミにありがちな「感動、涙の押し売り」的センチメント抜きの淡々とした記事のトーンに好感をもった。
TOBYOと合わせて「ディペックス・ジャパン」も紹介されているが、「ただ視聴者が予想していたほどには増えないのが悩み。存在がまだ知られていないのも原因のようだ。『活字媒体で存在をPRして注目率を高めたい』と佐藤事務局長は話している。」とのことである。英国のディペックス本家サイトを見ても、アクセス状況をこのブログでも取り上げたことがあるが、その後あまり改善されていないようだ。以前、「英国ディペックスは月間200万アクセス」とか「英国医療ナンバーワンサイト」などと、ディペックスの人達がいろいろな場所で語っているのを見かけたが、いったいあれは何だったのだろうか。また、どうも「映像による闘病情報」というものを、一度再考する必要があるのではないかと思える。一般的に、なにか文字情報よりも映像情報の方が価値が高いとみなすような「迷信」があるような気がする。これは旧メディア世代に特徴的な傾向であるとも思う。
たしかに、映像でしか伝えられないテーマはあるだろう。逆に文字情報の方が効率的で簡便に扱えるようなテーマもあるはずだ。テーマによって、最適な情報の形は決まってくる。なにがなんでも映像、というわけでもないのだ。医療では、たとえば疾患発症メカニズムなどはアニメーション等のほうがわかりやすい。一方、闘病体験などは文字情報の方が簡便に扱え、必要な情報を検索しやすい。また、映像の「中身」も問題になるだろう。人物の顔だけを延々と見せるような映像は、変化に乏しく飽きが来やすい。あくまで一般論だが、人の「語り」だけを見せる映像というものは、その人がよっぽどの有名人であるとか美人であるとかという場合を除き、興趣に欠けがちである。
またコストの問題もある。映像をコンテンツ化する場合、撮影、編集などの手間がかかる。時間と費用をかけて映像化するよりも、短時間に安く公開できる文字コンテンツの方がコスト的に有利なはずだ。また、「どうしても映像でなければならない」ということが説明できなければ、ディペックスのように厚労科研費つまり税金を投入することを、誰もが納得するわけもない。あまり利用者が多くないのなら、当然「仕分け」の対象になるはずだ。
三宅 啓 INITIATIVE INC.