医療事実の蒸留器としてのDFC

distiller

DFC(Direct from Consumer)開発に取り組む過程で、TOBYOプロジェクトの役割というものをあらためて考え直す機会を持つことが出来たのは幸いだった。これまでプロジェクトミッションは「ネット上に存在するすべての闘病体験を可視化する」と定義してきたのだが、さらにもっと直截で具体的な表現を用いるとすれば「医療事実の蒸留器(distiller)」とでも呼べるかも知れない。

まずTOBYOは、ネット上に多数存在するスパムサイトや偽装サイトなどのノイズを除去し、自発的に公開された闘病記録を含むサイトだけを収集してきている。つまりGoogleやYahooのような汎用検索エンジンに比べると、よりクリーンな情報ソースだけを検索することが可能だ。これはバーティカル検索の強みである。

だが一口に「闘病体験を含むサイト」と言っても、闘病記録がほぼ100%を占めるようなサイトからわずか10%程度のサイトまで雑多なバリエーションがある。私たちが2万件を越えるサイトを見てわかったのは、むしろ闘病記録よりも日常雑記の方が全体として情報量は多いということだ。育児、教育、仕事、趣味、旅行、時事など、多彩な日常記録が公開されており、その中の一部分として闘病記録が収載されているのが普通である。 続きを読む

固定観念を疑え

question

ひとくちに「インターネット医療サービス」といっても、実際にそれを存続可能な形で運営していくのは容易ではない。そのことはインターネット初期から今日まで、日本の医療分野のインターネットサービスの消長をざっと眺めてみればわかることだが、それでも実際に体験してみなければわからないことも多い。TOBYOの場合も「おそらくこうだろう」とあらかじめ予測のつくこともあったが、まったく予想外の展開も多かった。

だがなんといってもTOBYOのようなプロジェクトは、国内にも海外にもどこにも似たものがなかったので、ある意味で気楽に思いきったことができたのではないだろうか。「ビジネスモデル」という点では当初からいろいろな人から質問を受けたが、「まぁ、いわゆる広告モデルです」みたいなゆるい話でお茶を濁してきたのである。だがそのうちに、「アクセス向上→媒体価値向上→広告獲得」のような通常誰しも思い描くストーリーだけでは、おそらく医療分野ウェブサービスの成立を支えることはできないだろうと思い至った。 続きを読む

入れ子構造のパターナリズム

matoryoshika

このブログを最初からざっと眺めてみると、当方の興味関心が「闘病記」から徐々に離れてきたことがお分かりいただけるだろう。というよりも、最初から「リアル「闘病記」本の代替物としてのウェブ闘病記」という見方に反撃するために、ウェブ上の闘病サイトの独自な立ち位置を強調していたわけだ。今日では、ブログをリアル日記帳の延長で捉える、あるいはその代替物と見るような人はいないだろう。同様に、ウェブ上に出現した闘病サイトを旧来の「闘病記」の延長で捉えてはならず、両者はほとんど別物であるとの認識を持つ必要があるだろう。

闘病サイトをじっと観察してみると、それが「闘病記」を書く場所ではなく、ネット上でさまざまな情報活動をするための基地という性格があることに気づくはずだ。闘病体験記録はその情報活動の一つの成果に過ぎず、それを闘病者の情報活動総体から分離することは本当はおかしなことだ。つまり、闘病者はいつのまにか自然発生的に、古く狭い「闘病記」というフレームに入りきらない情報活動とコミュニケーションをはじめているのであり、その現実を見ないことには何も始まらない。

そしてこのような闘病者の情報活動やコミュニケーション活動は、それらを「作品」として「鑑賞」するような観点とはまったく無縁であり、純粋に「自分にとって役立つ情報かどうか」によってのみ判断されている。つまり、闘病ユニバースに「作品と鑑賞」という尺度を持ち込むのは、まったくの時代錯誤なのだ。従って「作品」としての完成度ではなく、まったく別の尺度で闘病者の情報活動やコミュニケーション活動の成果は評価されるべきである。 続きを読む

固有名詞で医療を可視化する

Free

従来、具体的な病院や医師の評価に関する情報は、自分の周囲のごく少数の限られた人からのクチコミ情報によって細々と伝えられていた。医療を選択するための十分な情報がなかったのだ。インターネットはこれを変えた。掲示板、個人サイト、ブログ、SNSなどで、闘病者は自分の医療体験を続々と公開し始めた。いつのまにか、病院や医師や治療法についての情報はネット上にあふれだしたのだが、これら情報を吟味し、医療選択のために提供するような方法は確立していなかったのだ。

TOBYOプロジェクトでは、闘病体験に限定した特化型検索機能を開発し公開している。これによって消費者・闘病者はスパムやゴミを除去した集合知から、求める医療体験情報を探すことができる。だが、この集合知に病院名、医師名、薬品名など固有名詞が十分に含まれていなければ、ユーザーは検索時に事実を特定することはできない。私たちがおよそ2万件近い闘病サイトの現状をチェックした限りでは、固有名詞の明記はまだ不十分であるとの印象である。 続きを読む

集合知からデータを切り出す

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TOBYOプロジェクトのマーケティング・レイヤーは、闘病ユニバースに蓄積された集合知(闘病体験)から、利用可能な形でデータをいかに取り出すかがテーマになる。これら集合知に「闘病記」などのフィルターをかけて見てしまうと、その利用領域は非常に限定されることになるだろう。以前からTOBYOでは物語として闘病体験を見るのではなく、固有名詞を持った事実にこだわることが重要だと考えてきた。

闘病体験ドキュメントを「作品」と見るのか、それとも「データ」と見るのか。この二つの異なる立場があるのだろう。もしも「作品」と見るならば、作品としての完成度がその闘病体験ドキュメントの価値になる。そしてその完成度をめぐり、評論や研究などの領域も生まれるだろう。これらすべてはどんな方向へ収斂されるかといえば、おそらく「文学」ということになるのではないか。そこにおけるビジネスは、作者を育成し、「作品」の出版・流通過程を編成し、いかに消費者に「物語」を消費させ、いかに「作品価値」を回収するかにかかっている。 続きを読む