集合知からデータを切り出す

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TOBYOプロジェクトのマーケティング・レイヤーは、闘病ユニバースに蓄積された集合知(闘病体験)から、利用可能な形でデータをいかに取り出すかがテーマになる。これら集合知に「闘病記」などのフィルターをかけて見てしまうと、その利用領域は非常に限定されることになるだろう。以前からTOBYOでは物語として闘病体験を見るのではなく、固有名詞を持った事実にこだわることが重要だと考えてきた。

闘病体験ドキュメントを「作品」と見るのか、それとも「データ」と見るのか。この二つの異なる立場があるのだろう。もしも「作品」と見るならば、作品としての完成度がその闘病体験ドキュメントの価値になる。そしてその完成度をめぐり、評論や研究などの領域も生まれるだろう。これらすべてはどんな方向へ収斂されるかといえば、おそらく「文学」ということになるのではないか。そこにおけるビジネスは、作者を育成し、「作品」の出版・流通過程を編成し、いかに消費者に「物語」を消費させ、いかに「作品価値」を回収するかにかかっている。

だが、これはこれで良いのだと思う。現に、物語としての闘病体験を読みたいと言うニーズはあるだろう。あるいは、闘病体験と言う特殊な領域でのディレッタンティズムが「闘病記評論」として成立するかもしれない。だが待てよ、では「医療」はいったいどこに行ってしまったのか?ひょっとして医療は、「作品」の借景として素材化されてしまったのではないか。最近書店で大量陳列されている凡庸な医療ミステリーのように。

TOBYOプロジェクトではあくまでも「データ」にこだわりたいと考えている。「作品の評価」ではなく「医療の評価」が私たちの目指すものだ。そして「医療の評価」に物語は不要であり、データこそが必要なのだ。

photo:Leigh Blackall , What we need

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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