ある闘病者の言葉

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あなたが無駄に過ごした今日は
昨日死んでいった誰かが生きたいと願った 明日です

「あたしの生き方」 yukari5907 高次脳機能障害

闘病サイトのドキュメントを読んでいると、しばしば「ドキッ」とする言葉に出会う。このサイト「あたしの生き方」作者の言葉も、最近、記憶に残った言葉の中の一つである。なるほど、われわれは「死者」の視点から見た「未来」に生きているのだ。このような「死者の視点」に気づかせてくれた貴重な言葉である。

三宅 啓  INITIATIVE INC.

増加するビデオ闘病記

GuillainBarre

最近、ビデオコンテンツを置く闘病サイトが増えてきている。たとえばギラン・バレー症候群の闘病サイト「ギランとバレー Case of Garuda 10」では、「リハビリ報告」というタイトルでリハビリの詳細な様子を、一回に付き数本のビデオで紹介している。たしかにリハビリメニューなどの内容を説明するには、文章よりも映像の方が手っとり早い。そのためか、この闘病サイトではビデオがメインであり、文章はそれを補うものという位置づけになっている。また、リハビリ時の身体運動を映像記録することによって、機能回復の程度を視覚的に確認することができる。さらに、さまざまなリハビリメニューをこなしたという達成感を、ビデオから得ることもできるのだろう。リハビリ記録にはビデオが向いていることを、この闘病者は発見したのである。

この他にも、闘病サイトにビデオコンテンツを利用するケースは増加してきている。この理由の一つには、ブログサービス提供者が、ビデオコンテンツを簡単にポストできるような機能を提供し始めたこともあるだろう。またYouTubeなどで、ビデオをネットにアップすることが日常的に行われるようになったことも大きい。 続きを読む

一万人の闘病者が書いた200万ページの闘病記

今月8日から、日本初の闘病記に特化したバーティカル検索エンジン「TOBYO事典」テスト版を公開している。今回バージョンの基本データは次のようになっている。

  • 検索対象サイト数: 10,085サイト
    ブログサイト: 8,414サイト
    一般サイト: 1,671サイト
  • 検索対象疾患: 642疾患
  • 検索対象ページ総数: 2,091,610ページ

以前から私たちは、ネット上に自然発生的に作られてきた闘病者のネットワークを「闘病ユニバース」と呼んできたのだが、ここで自発的に生成され蓄積されてきた膨大な闘病体験ドキュメントを、一冊の巨大な闘病記と見なしてもよいだろう。これはおそらく「史上最大の闘病記」であるはずだが、このうち、今のところTOBYOが可視化しているのは1万サイト200万ページである。そしてまた、この「史上最大の闘病記」を次のように表現してもよいだろう。

「一万人の闘病者が書いた、200万ページの闘病記」

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ある物理学者の闘病体験データベース構想

ある方から教えていただいて、世界的物理学者で元東京大学宇宙線研究所長の戸塚洋二氏の闘病ブログサイト「The Fourth Three-Months」 の存在を知った。大腸から始まって肺、骨、脳と転移した自己の「がん」との闘病体験を、科学者らしく客観事実とデータを中心にまとめ上げたこの闘病記は資料価値の非常に高い記録になっている。残念ながら戸塚氏自身は昨年夏に亡くなっている

だが、この闘病記において戸塚氏は、自己の闘病体験の他に、ある一つの重大な提言をしている。それは「闘病体験データベースの構築」ということだ。そして奇しくもこのことは、まさに私たちがTOBYOで目指していることなのだ。

インターネットで「大腸がん」を検索してみると膨大なヒット数がありますし、ブログにも(私のも含めて)多くの体験談が載っています。しかし、検索に便利なように整理されていないことがネックで、上のような疑問の答えを探そうにも手に負えません。

何とかならないでしょうか。思いつくままにちょっと提案してみたいと思います。

まず、がん患者の知りたいことのほとんどは、上にあげた私の例のように、主治医には答えられないか答えたくない事項なのです。

われわれにとって本当に必要なのは、しっかりと整理され検索が体系的にできる「患者さんの体験」なのです。

当然ですが、これらの整理された体験談は例数が増えるにしたがって学術的にも貴重なデータになることは間違いありません。大学病院の先生方が細々とした科学研究費補助金をもらって個人的かつバラバラに調査を行っているようですが、全国的に体系がとれ整理されたデータでないとあまり役に立たないのです。

そのように整理された体験談があれば、検索によってその記録を見つけ、私にとって大変参考になる情報なら「自己責任」でもってそれを利用すればよいのです。

「大腸がん患者」にとって欲しいデータとは何か

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「闘病記」を越えて(5): ネット的なるもの

従来の「闘病記」という狭い閉じられた静的枠組みによってではなく、もっと開かれた動的な視点からネット上の闘病ドキュメントを見ていくことが必要だ。ここに二つの視線があると思う。ひとつはリアル闘病本を起点として、ネット上の闘病ドキュメントの方へ向けられた視線であり、もう一方はネット上の闘病ドキュメントから出発して、リアルの医療現場へ向いた視線である。前者はリアル闘病本およびリアル医療現場などを、ある意味で規範化し、「かくあるべし」という硬直した観点からネット上の闘病ドキュメント周辺を見ているはずだ。このような「視線」からこぼれ落ちてしまうのは、ネット上の闘病ドキュメントが持つ豊かな可能性である。リアル闘病本の研究者達が、ネット上の闘病ドキュメントを正当に評価できないのも、彼らがこの視線から離れることができないからだ。

一方、もう一つの視線は何を語っているのか。もう一つのネット上の闘病ドキュメント発の視線は、リアル闘病本だけではなく、リアル医療全体に向けられている。そして、この「視線」は「かくあるべし」という規範化された医療観ではなく、「こうあってほしい」もしくは「こんなことも可能だ」というように、複数の代替的医療像を提起しているはずなのだ。つまり、現実の医療を唯一絶対のものとして規範化するのではなく、むしろ闘病者視点で相対化し、新しい医療の在り方の可能性を暗黙的に指し示していると言える。おそらく医療改革とは、これらの多声的で暗黙的な言葉に耳を傾けるところから始められるべきなのだろう。 続きを読む