「闘病記」を越えて(5): ネット的なるもの

従来の「闘病記」という狭い閉じられた静的枠組みによってではなく、もっと開かれた動的な視点からネット上の闘病ドキュメントを見ていくことが必要だ。ここに二つの視線があると思う。ひとつはリアル闘病本を起点として、ネット上の闘病ドキュメントの方へ向けられた視線であり、もう一方はネット上の闘病ドキュメントから出発して、リアルの医療現場へ向いた視線である。前者はリアル闘病本およびリアル医療現場などを、ある意味で規範化し、「かくあるべし」という硬直した観点からネット上の闘病ドキュメント周辺を見ているはずだ。このような「視線」からこぼれ落ちてしまうのは、ネット上の闘病ドキュメントが持つ豊かな可能性である。リアル闘病本の研究者達が、ネット上の闘病ドキュメントを正当に評価できないのも、彼らがこの視線から離れることができないからだ。

一方、もう一つの視線は何を語っているのか。もう一つのネット上の闘病ドキュメント発の視線は、リアル闘病本だけではなく、リアル医療全体に向けられている。そして、この「視線」は「かくあるべし」という規範化された医療観ではなく、「こうあってほしい」もしくは「こんなことも可能だ」というように、複数の代替的医療像を提起しているはずなのだ。つまり、現実の医療を唯一絶対のものとして規範化するのではなく、むしろ闘病者視点で相対化し、新しい医療の在り方の可能性を暗黙的に指し示していると言える。おそらく医療改革とは、これらの多声的で暗黙的な言葉に耳を傾けるところから始められるべきなのだろう。

そして、闘病ドキュメントが持つ「自発的に共有された闘病体験集合」という、まさにこの「インターネット的なるもの」こそが、次世代医療を切り開く最も重要なポイントだと思う。インターネットは従来医療を効率化する単なるメディアではない。闘病ユニバース、Health2.0、消費者参加型医療など、これらすべては今日医療に関連する「インターネット的なるもの」を多方面から切って見せた諸断面に過ぎない。

私たちは、この「ネット的なるもの」に徹底的にこだわり、これを追求することで、次世代医療につながる新たな医療サービスを創造することができるはずなのだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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