大日本印刷の個人情報流出事件の詳細が次第に明らかになるにつれ、被害とその社会的影響の大きさに改めて驚かされます。今回の事件のみならず、情報遺漏事件は後を絶たず、情報社会におけるセキュリティとプライバシーの問題は、まさに医療分野のIT化においても直接かかわってくる問題です。
先週、米国医療業界紙に「プライバシーは医療IT標準規格の合意を壊すものか」という記事が発表されました。米国政府は2014年へ向けた医療情報IT化政策を発表しましたが、最近の世論調査をみてもこの政策に対する一般市民のプライバシーをめぐる不安は大きく、また議会ではプライバシー保護を強く主張するエドワード・ケネディ議員などが新法案を準備するなど逆風にさらされ、決して順風満帆とはいえないようです。
医療情報IT化推進とプライバシー保護やセキュリティ確保。このうちいずれを重視するかと言う問題は、なかなか厄介な問題です。一市民、生活者の立場から見て、IT化による利便性は、もはや捨てがたいまでに生活に浸透しています。しかし、自分の情報、とりわけ自分の医療情報が第三者の手で勝手に処理されるような事態を、われわれは許容できるでしょうか。これはたとえば、クレジットカードで快適で便利なショッピングを手に入れることと、買い物行動を逐一監視され記録されることとが同時に起きている、そのような事態として、実は既にわれわれの日常になっていることです。
またインターネットこそ、まさにこの「利便性」と「監視」の二つの側面を同時に持っているといえます。いながらにして情報を入手できる反面、常にユーザー行動はネット上の痕跡として記録され監視されています。つまり「ネット上のプライバシー」というものは幻想に過ぎず、ネット上の行動は常に何らかのプライバシーを曝すことに等しい、といってもいいでしょう。
たしかにクレジットカードもインターネットも、「使わない」という選択をすれば自分のプライバシーは守られるし、セキュリティ・リスクからも解放されます。ですが住基ネットをはじめ、社会的なインフラとして整備される情報システムは、個人の選択できる余地は非常に少ないのも事実です。
ところで、闘病記はまさに個人情報のかたまりです。Web闘病記を読みながら私がまず驚き疑問さえ抱いたのは、「ここまで個人情報を公開できるものだろうか?。公開しても良いものだろうか?。」ということでありました。検査結果グラフや表、レントゲン写真など検査画像類、患部画像から果ては自分の手術実写動画まで、驚くほど大量の個人情報が公開されているのです。これではたとえ匿名であっても、誰かがその患者を特定しようと思えば不可能ではありません。
Web2.0といわれるインターネットの現在を見ても、ユーザー生成コンテンツ(UGC)やこれらを集約したUGMサイトなどが全盛ですが、これらはある意味で以前にも増して自分のプライバシーを曝すようなものです。また曝す覚悟がなければ、ネットのありがたみや旨みを十全には賞味できないかのようです。
と考えてくると、何か変ではないですか?。一方でプライバシー保護とセキュリティ確保が大声で叫ばれながら、もう一方で、闘病者は自分のプライバシーまで曝して闘病記を書き、ブロガーは自分のプライバシーを曝してまでブログを綴っているのです。そしてこれらは両方とも事実であり同時に起きているのです。
無論、プライバシーもセキュリティも大事です。それを否定するつもりはありません。しかし、Web闘病記やWeb2.0の動向に関心を払っていると、何か今までのような単純なプライバシー&セキュリティ観ではすまないような、これまでにない新しい状況が出現しているような気がします。それをなんと呼び、どう解釈するかは、まだまだ時間が必要です。
ただ闘病記の場合、他者と「闘病体験の共有」をめざそうとするなら、まず自分の体験を語らなければならないのです。公開しなければならないのです。コミュニケーションに対してオープンでなければならないのです。
( Leigh Blackall , We must be free )
三宅 啓 INITIATIVE INC.