噴火、爆発、溶岩流

荒ぶる夜。想念は噴火し、言葉は爆発し、怒りはマグマとなって流出した。そして、爆発し尽くしてしまえば、あとは瓦礫が黒々と堆積するのみ。殺風景だ。

昨夜、久しぶりに怒り爆発。しかし、怒りだけで物事を進めることはできまい。わかってはいるが、一夜だけでも怒りに火を付けたいこともある。そしてまた、営々と毎日を過ごし、積み上げ、計画し、実行する。そんな定常モードの日々に復帰すればよい。そして、それらプロセス全体が少しでも前進して行くなら、それでよい。

怒りを歌え。また明日から始めるために。

三宅 啓  INITIATIVE

「消極的な参加、無意識の言葉」が意味を持つ時代

will_2.0

今週からいよいよ社会全体が再起動したような、そんな空気が街に満ちている。今年あたりから、ウェブ医療サービスは新しい段階に突入するような予感がある。Health2.0という言葉が現れてすでに6年が経ち、そのバズワードとしての新奇性が耳に新鮮だった時期は去った。これからいよいよその真価が試されるのだ。しかし「2.0」という言い方も、もうとっくに賞味期限が過ぎたような気もする昨今だが、ここに今ひとつ強力な「2.0」が現れた。「一般意思2.0」である。

「本書の出発点は、近代の政治思想が抑圧し排除したルソーの「夢」が、情報技術の世界において思わぬかたちで回帰している、そのダイナミズムへの注目にある。その「欲望の回帰」を可視化することで、現代の起業家やエンジニアが目指しているものをきちんと思想史の文脈に位置づける、それが本書の執筆動機のひとつだ。」(「一般意思2.0」、東浩紀、講談社、P102)

この本を読みはじめた時、いろいろな想いが体の底から、文字通り急に吹き出してくるのを禁じえなかった。ゾクゾクしたのだ。読書でこんな体験をしたのも久しぶりのことである。ここ数年、私たちが暗中模索、まさに手探りで進めてきたTOBYOプロジェクト。そこで私たちが考えてきたこと、めざしてきたものを、「どうだ、これがその方向性だろう」とズバリ言い当てられてしまったような気がしたのだ。「現代の起業家やエンジニアが目指しているものをきちんと思想史の文脈に位置づける」とあるが、本当にそのとおりの成果が出されていると思う。 続きを読む

寝正月的Health2.0

nenga2012

あけましておめでとうございます。

元旦、初詣から帰って発熱、腹痛、下痢。風邪。二日、三日と自宅蟄居、まさに寝正月状態。布団の中でスマホを見ながら、今年の行方をあれこれ考える。

やはりこの時期、「今年はこうなる!」みたいな予想ものエントリが多い。その中で「ビッグデータ・アナリティク・サービス」という言葉を目にした。これは、サイズは小さいもののdimensionsがめざしている方向だと思った。「ネット上の非構造化データをいかに構造化するか」という話だが、これもTOBYOプロジェクトが最初からめざしてきたことだ。今後、dimensionsが保有するデータを他の医療関連データと繋ぐことで、さらに多面的に医療を可視化するサービスが提供できるはずだ。

「データ中心型スタートアップ」というのが、今年出てきそうだとの話もある。音楽業界の“Next Big Sound”など、ソーシャルメディアからビッグデータをアグリゲートし、B2Bで特定業界に寄与するプロフェッショナルなデータサービス提供事業が出てきている。数年前まで、この分野はブログ・リサーチなど汎用データサービスがほとんどを占めていたが、これから業界特化型サービスが主役になるだろう。医療分野でそれをめざしているのがdimensionsだ。

さてHealth2.0関連を見ると、なんといってもこの正月のビッグニュースは、米国の代表的医師SNSであるSermoのファウンダー(ダニエル・ペールストラント)が”Sermo”を離れ、新たにスタートアップ事業“par80″を発表したことだ。これには驚いた。この”par80″は「医師と患者をダイレクトに結ぶサービス」になるとのことだが、詳細は不明。また今後、どうやらペールストラントは完全にSermoを去るわけでもなさそうだ。 続きを読む

医療選択、意思決定、行動経済学

daniel_cahneman

めっきり寒くなったと思ったら、もう2011年もあと数日を残すのみ。そろそろ来年のことを、あれこれ考えはじめたりしている。前エントリでも書いたが、とにかく今年は、dimensions開発とプロモーションに明け暮れた一年だった。地震もあったが、何か例年にもまして短い一年だったような気がする。

dimensionsだが、すでにシステム運用を開始しており、現在、製薬会社や調査会社の方々に実際にお使いいただいている。当面、ディスティラーにおける対象疾患数とキイワード(固有名詞)件数の増加、そしてX-サーチの検索結果メタデータとフィルタリング項目の追加作業など改善に取組んでいるが、当初めざしていた基本機能は予定通りワークしている。今後は、クロールと集計の定常運用モードに入り、データ件数の拡大と更新の迅速化をめざしていく。

さらに来年へ向け、二つの新規サービスを準備している。あれこれ検討してネーミングも決まった。その一つは、闘病体験を個人ごとにワークシート一枚で時系列集約する「アルマナク」(Almanac)、そして患者体験による医薬品評価サービスの「ボイシズ」(Voices)である。

このようにシステム開発は進んでいるが、同時に、それらを支える理論的フレームもこの一年間に少しづつ固めてきた。特に春先から、ソーシャル・リスニングなど新しいリサーチの考え方をどんどん導入してきたが、それらはやがて徐々に行動経済学へと焦点を結ぶことになった。dimensionsのプレゼンテーションもその主要論点がどんどん変化してきたのだが、この秋頃からだろうか、プレゼンでダニエル・カーネマン(上写真)を引用することが増えてきている。 続きを読む

コスモス、タクシス、そして闘病ユニバース

Keynes_VS_Hayek

先のエントリで「設計主義に基づくレガシー調査の限界」を検討したが、この「設計主義」という言葉は、経済学者ハイエク(Friedrich August von Hayek,1899-1992)の言葉であり、デカルト以降の合理主義の潮流、すなわち近代合理主義を批判する際に用いられる言葉である。人間の理性による合理的思考によって、社会をより目的整合的で合理的な社会に設計しうると考える近代合理主義は、一方では社会主義へ、もう一方ではファシズムへと、悲惨な歴史的帰結を見た。

それにもかかわらず、ある「目的」のもとに、社会や医療制度をはじめ諸制度を設計することを企図する「設計主義」はあとをたたない。「正しい合理的な目的」を社会に向け命令し統制することをめざす「設計主義的合理主義」は、まさに20世紀のコマンド&コントロール型マーケティングのルーツでもあった。

これらに対しハイエクは、市場をはじめとする自生的秩序の能力を高く評価し、個人の理性や合理的判断の限界を説いた。不特定多数の匿名の自生的秩序のほうが、少数の優秀な理性よりも、むしろ能力は高く信頼できるとしたのである。たしかに匿名的な市場の価格調整力のほうが、特定少数の優秀な官僚や学者による価格予測や計算よりも、はるかに問題解決能力が高いことは、すでに社会主義諸国の実態によって証明済みである。テクノクラートやエリートが、どんなに高度な計算力を投入しようと、市場のように需要と供給をバランスさせることは不可能だったのだ。 続きを読む