コスモス、タクシス、そして闘病ユニバース

Keynes_VS_Hayek

先のエントリで「設計主義に基づくレガシー調査の限界」を検討したが、この「設計主義」という言葉は、経済学者ハイエク(Friedrich August von Hayek,1899-1992)の言葉であり、デカルト以降の合理主義の潮流、すなわち近代合理主義を批判する際に用いられる言葉である。人間の理性による合理的思考によって、社会をより目的整合的で合理的な社会に設計しうると考える近代合理主義は、一方では社会主義へ、もう一方ではファシズムへと、悲惨な歴史的帰結を見た。

それにもかかわらず、ある「目的」のもとに、社会や医療制度をはじめ諸制度を設計することを企図する「設計主義」はあとをたたない。「正しい合理的な目的」を社会に向け命令し統制することをめざす「設計主義的合理主義」は、まさに20世紀のコマンド&コントロール型マーケティングのルーツでもあった。

これらに対しハイエクは、市場をはじめとする自生的秩序の能力を高く評価し、個人の理性や合理的判断の限界を説いた。不特定多数の匿名の自生的秩序のほうが、少数の優秀な理性よりも、むしろ能力は高く信頼できるとしたのである。たしかに匿名的な市場の価格調整力のほうが、特定少数の優秀な官僚や学者による価格予測や計算よりも、はるかに問題解決能力が高いことは、すでに社会主義諸国の実態によって証明済みである。テクノクラートやエリートが、どんなに高度な計算力を投入しようと、市場のように需要と供給をバランスさせることは不可能だったのだ。

これは医療にも言えることだ。一つ一つの薬剤から医療サービス・アイテムにいたるまで、すべての医療価格を統制するということが本来は無理であり、需要と供給を予測できるとする発想自体が、傲慢な「設計主義」であるにちがいない。

ところで私たちはTOBYOプロジェクトにおいて、ネット上に公開された患者ドキュメントの集合体を闘病ユニバースと呼んできた。人為的に患者コミュニティを作るのではなく、すでにネット上に自然発生的に作られてきた自生的コミュニティに着目するというこの発想は、実はハイエクから学んだものである。ハイエクは、人間が作り出す二つの秩序を想定していた。一つはいかなる目的も持たず自然発生的に成長する自生的秩序であり、これをハイエクはコスモス(cosmos)と呼んだ。そしてもうひとつは、ある特定の目的を持って作られた秩序すなわち組織であり、これをハイエクはタクシス(taxis)と呼んだ。(「法と立法と自由」,1973)

もちろん闘病ユニバースはコスモスであり、コスモスとは文字通り「宇宙」のことである。闘病ユニバースは、ネット上に成立した、オープンで目的を持たない匿名の個人の集合体である。それは、何らかの目的に基づいて設計されたコミュニティではない。目的による命令と統制がないから、豊富な多様性を維持できるのであり、そしてそれゆえに実は多くの問題解決能力さえ潜在的に持っているのである。私たちのdimesionsは、そのパワーを部分的に利用するものである。

逆に、明確な目的を持ち人為的に作られたコミュニティは、単一性へ収斂する傾向を持ち、その問題解決能力は実は狭く限定されている。たとえば、Health2.0の第一世代であると考えられるSermoやPatientsLikeMeだが、これらのサービスにも、その設計主義的限界、タクシスとしての限界というものがあるだろう。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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