Curationによるデータ構造化

DCC

昨日、イスラエルのFirst Life Researchに触れたが、さっそく今日、二~三の方からお問い合わせを頂戴した。たしかにソーシャル・メディア・マーケティングという視点で医療を眺めるなら、TOBYOやFirst Lifeのような事業が出現するのは自然の流れと言えよう。ソーシャルメディアと医療といえば、本来なら、ソーシャル・グラフのパワーを活用した患者SNS事業などがメインに位置してもよいはずなのだが、残念ながら撤退したサービスもあり、その難易度は高いことがわかってきた。

それに対し、TOBYOやFirst Lifeは「すでにネット上にある公開データ」に焦点を合わせている。そして患者体験として公開されたUGCの構造化をめざしている。TOBYOは「すべての闘病体験を可視化し検索可能にする」とのミッションによって、患者体験UGCの構造化を宣言しているわけだ。実際にはブログなどUGCサイトにメタデータを付し、整理分類し、リスト化を進めている。First Lifeもほぼ同様の考え方をしている。だが、両者が違っているのは、TOBYOがCuration(自動生成データ等に対する人手による検証と修正)という方法を取っているのに対し、First Lifeはセマンティック技術で機械化しようとしている点だろう。「Medical Ontology」と彼らが呼んでいるのは、患者UGCを意味的に機械判別する仕組みのことと推測される。 続きを読む

闘病体験のフィールドワーク

私たちのパートナーである株式会社メディカル・インサイトが今月で創業二期目を迎えるようだ。まずは鈴木さん、おめでとうございます。今後も一層のご活躍を期待しています。

鈴木さんと初めてお会いしたのは昨年暮れ、たしか12月24日だったと記憶している。クリスマス・イブに突然現れたのだから、鈴木さんに「サンタクロース」のイメージをかぶせることは不自然ではない。密かに「サンタ鈴木」と呼んでいた。鈴木さんはTOBYOプロジェクトに強い関心をお持ちで、熱心なお申し出までいただき、結果として当方事業パートナーをお願いすることになったのだが、まさにTOBYOプロジェクトにとっての「サンタクロース」であった。そして、後にそのプレゼントが「DFC」であることがわかった。

当方は昨年11月頃から闘病体験データに基づくマネタイズを模索していたが、まだ概念やアイデアをあれこれ整理している段階であった。そこへまさにドンピシャの「DFC」というコンセプトを鈴木さんから頂戴した。現在、DFCはすでに開発途上にあるが、私たちだけでここまで進捗することはなかっただろう。鈴木さんに参画してもらい、とにかくTOBYOプロジェクトは長足の進歩を遂げたと思っている。 続きを読む

スイカとネット・リテラシー

Suica&Net

9月になっても暑さは続いているが、今年の夏は「スイカ」で乗り切った。昨年夏は痛風にずいぶん痛めつけられたので、今年は酒量を控えめにし、しっかり水分を摂るために朝晩スイカを食べたのだが、これが効いた。この夏中、痛風知らずであったのはもちろんだが、何か体が軽く感じられ、炎暑の中を苦も無くスイスイ歩くことさえできた。スイカ・パワーがここまで効くとは・・・・・。客観的「エビデンス」でないことは言うまでもないが(笑)、とにかく個人的には良かったのである。

だが、9月に入ってスーパーへスイカを買いに行くと、なんとスイカ売り場はなくなっており、しかも野菜果物売り場の隅っこに、ひとり寂しげに転がっていたスイカには、二三日前の倍の値段が付いているではないか。ケシカラン!。9月だから秋物へ売り場一新ということなのだろうが、しかし、かくも露骨な「スイカ弾圧」があってもよいものだろうか。「スイカの恨み」はこわいのだ。「もうこの店では、買わないぞ!」と決めて他を見て回ったが、どこも似たような惨状であった。どこの店でもスイカ達は冷蔵ケースに入れられるのみならず、文字通り一挙に冷遇されてしまったのである。さぁ困った。当面は妻と手分けしてスイカ探索隊を編成することにしたが、しかし、やがて市場から忽然と消えてしまう日も訪れるはずだ。スイカのあるうちに、スイカの代替品を見つけなければならない。 続きを読む

懐かしのグラフィティ入力

PalmV

Androidでグラフィティ入力ができるようになった。早速導入。最初はグラフィティ文字を思い出すのに苦労したが、なんとかやっているうちに記憶が蘇ってきた。手の動きなど、一度獲得した身体記憶というものはなかなか消えないものらしい。そう言えばSONYクリエが壊れて以来だから、グラフィティ文字とはかれこれ6年ぶりのご無沙汰だった。入力ソフトは感度も良く、きびきび反応してくれる。以前はスタイラスを使っていたが、じかに指で入力できるのも良い。これは便利だ。

かつてPalmVx(写真)を愛用していたが、シンプルながら丈夫で動作も安定しており重宝していた。あとで買い換えたクリエがすぐ壊れてしまい、SONYに代表される「Made in Japan神話」が自分の中でがらがらと崩壊していったのを覚えている。あのころすでに「もの作り日本」など過去の遺物になっていたのかもしれない。クリエはたしかにPalmよりも高機能であったが、堅牢性や物理動作などモノとしての基本的な信頼性がいまいち弱かったと思う。いつの間に日本メーカーは、柔で壊れやすいものを作るようになってしまったのか。 続きを読む

Unconcerned But Not Indifferent:無頓着、しかし無関心ではなく

ManRay

昨日、暑い中を妻と「マン・レイ展 ~知られざる創作の秘密~」(国立新美術館)へ出かけた。美術館は朝から大混雑。これはオルセー美術館展を観る人達がほとんどで、館内を埋めつくす長蛇の列には驚いたが、マン・レイ展の方は人も少なくゆっくり鑑賞することができた。

以前から自宅の机の上にマン・レイのポスターを飾っている。マン・レイの妻ジュリエットのモノクロ写真に手描きのラインを書き入れたポスターだが、なんとも言えない味があり気に入っている。展覧会を見終えて何かいまいち物足りなかったのは、このポスターが出展されていなかったせいもあるのか。パリ時代のヘミングウェイと息子バンビの写真があったのも意外だった。同時にマン・レイ作の映画も上映されていたが、かつて京都のシュールリアリズム映画祭で見た記憶があり懐かしかった。

Unconcerned But Not Indifferent
無頓着、しかし無関心ではなく

これはマン・レイの墓碑銘に刻印された文言である。 続きを読む