9月になっても暑さは続いているが、今年の夏は「スイカ」で乗り切った。昨年夏は痛風にずいぶん痛めつけられたので、今年は酒量を控えめにし、しっかり水分を摂るために朝晩スイカを食べたのだが、これが効いた。この夏中、痛風知らずであったのはもちろんだが、何か体が軽く感じられ、炎暑の中を苦も無くスイスイ歩くことさえできた。スイカ・パワーがここまで効くとは・・・・・。客観的「エビデンス」でないことは言うまでもないが(笑)、とにかく個人的には良かったのである。
だが、9月に入ってスーパーへスイカを買いに行くと、なんとスイカ売り場はなくなっており、しかも野菜果物売り場の隅っこに、ひとり寂しげに転がっていたスイカには、二三日前の倍の値段が付いているではないか。ケシカラン!。9月だから秋物へ売り場一新ということなのだろうが、しかし、かくも露骨な「スイカ弾圧」があってもよいものだろうか。「スイカの恨み」はこわいのだ。「もうこの店では、買わないぞ!」と決めて他を見て回ったが、どこも似たような惨状であった。どこの店でもスイカ達は冷蔵ケースに入れられるのみならず、文字通り一挙に冷遇されてしまったのである。さぁ困った。当面は妻と手分けしてスイカ探索隊を編成することにしたが、しかし、やがて市場から忽然と消えてしまう日も訪れるはずだ。スイカのあるうちに、スイカの代替品を見つけなければならない。
さてTOBYO収録サイト数が2万3千に達した。以前に比べだいぶ収録ペースは落としているが、とにかく3万を目指し、少しづつ積み上げていく努力を継続する。TOBYOは、ネット上に公開された闘病体験を最も効率的に活用するツールであると、最近、あらためて再認識する機会が多い。
「ネット上のすべての闘病体験を可視化し検索可能にする」ことがTOBYOプロジェクトのミッションである。私たちはこのミッションを、「ネットの流儀」に則って進めてきた。たまに一部の人達から「無断リンク」とか「無断掲載」(?)などという根拠のないお叱りを頂戴することもあるが、いまさら言うまでもなく、事前にサイト管理者に了承を取ることの方がネットの流儀に反するのだ。ネットは公共の場であり、そこに公開された情報に対し、誰でも自由にリンクを張り、言及し、引用し、論評することができる。これは表現の自由、言論の自由に属することがらである。このような原理を相互に認めているという前提があるから、「知識情報の共有」が成立するのだ。
ときどき、あまりネットを熟知されておられないマスメディアの方々などから「なぜ、事前にサイト管理者の了承を取らないのか」と聞かれることがあるが、冗談じゃない。本当はまともに答えるのも億劫なのだが、そういう人達に対してはたとえば「ではあなたは、あるサイトにソーシャルブックマークをつけるときに、いちいちサイト管理者にお伺いをたてて了承を得るのですか?」とでもたずねる他ない。また少なくとも、ウェブの設計者であるティム・バーナーズ・リー氏の次の言葉くらい知っておいてほしい。
There is no reason to have to ask before making a link to another site.
(Links and Law: Myths,Tim Berners-Lee,April 1997)
だが問題は、今日でもネットの基本的リテラシーが一般に驚くほど低いという現実にある。本日未明から、ツイッターで東浩紀氏が発言した「カンニング事件」が話題になっているが、この問題も学生のネット・リテラシーの低さがその根底にある。
三宅 啓 INITIATIVE INC.
以前ご連絡を頂きながらリンクをお断りさせていただいた
HNおいちゃんと申します。折角のご厚意に添う事ができなく申し訳なく思っております。
(ここから引用ですが)
事前にサイト管理者に了承を取ることの方がネットの流儀に反するのだ。ネットは公共の場であり、そこに公開された情報に対し、誰でも自由にリンクを張り、言及し、引用し、論評することができる。これは表現の自由、言論の自由に属することがらである。このような原理を相互に認めているという前提があるから、「知識情報の共有」が成立するのだ。
(引用おしまい)
とありますが、リンクを貼らせず、言及させず、引用もさせない〜そんな自由もあって初めて「自由」ではないでしょうか?
「自由でなければならない」が自由の定義だとすればこんな不自由な自由はありません。十人十色でいいのではと思いますが。
御サイトの更なる発展を願っております。