三周年

camjatan

昨日、2月18日。TOBYOはサイトオープン3周年を迎えた。夕方、早々に仕事を切り上げ、事務所から明治通りを歩いて東新宿方面へ向かい、新大久保はずれの韓国家庭料理屋へ。午後から急に風が冷たくなったが、暖かいカムジャタン(写真)をつつき、薬缶に入ったマッコリを飲みながら、奥山とこの三年を語り合った。

収録サイト2,000でスタートしたTOBYOは、三年経って収録2万6千サイトと文字通り国内最大の闘病サイトライブラリーに成長した。当初なかった闘病サイトだけを対象とするバーティカル検索エンジンも稼働している。そして昨年から開発に着手したdimensionsも、基本開発段階を終えデビューを待っている。振り返ってみれば、三年という時間がどうしても必要だったと思う。

Health2.0関連のビジネスモデルがweb2.0一般のそれとはかなり異なることは、再三、このブログで指摘してきているが、TOBYOの場合、収録サイト数や検索インデックスページ数など量的蓄積のための時間が必要だった。では2万6千サイトで十分かと言えば、まだまだと思う。医療におけるリサーチ・イノベーションを実現する最低水準は2万サイトぐらいだが、もちろんデータは多ければ多いほどよい。三年経ってようやくリサーチ・イノベーションをはじめ、さまざまなチャレンジを実現する基礎が固まったというところだろう。 続きを読む

Health2.0のビジネスモデル再考: データとフロー

Kandinsky

昨日は朝から、妻と丸の内の三菱一号館美術館へ「カンディンスキーと青騎士展」 を見に行った。数年前、大規模なカンディンスキー展が開催され大作「コンポジションⅥ、Ⅶ」などたっぷり堪能できたが、今回は初期のわりと地味な作品が多かった。しかし、風景画などでそのきわだった色彩感覚に驚かされる経験をした。「この屋根をこんな色で描くのか」。ミュンターはじめ青騎士グループの作品もじっくり楽しめた。そういえば、自室に長らく「コンポジションⅦ」の大判ポスターを架けて悦に入っていたが、あれはどこへしまったのか。

話は変わって、最近、あらためてHealth2.0のビジネスモデルを考え直したりしている。これはWeb2.0のビジネスモデルというものが、既にかなりはっきり見えてきたことにも関係がある。たとえば、かつてWeb2.0を代表するサービスと言われていたソーシャルニュースのdiggやソーシャルブックマークのdelicious、さらにかつてトップSNSであったMySpaceが、最近、身売りやリストラの憂き目にあっていると報じられている。そしてその一方では「勝ち組」のFacebookが、来年と噂される株式公開へ向け着々と準備を進めている。2005年の時点、つまりWeb2.0が大きな社会的話題になった頃、一体誰がこの事態を予想できたであろうか。その後、五年が経過し、混沌としたシーンは晴れ上がり、勝ち組と負け組は明確になった。 続きを読む

映画「ソーシャルネットワーク」を見て

SNS

映画「ソーシャルネットワーク」を見た。昨年秋から、いろいろなところでこの映画について目にする機会が多く、いわば予備知識過剰状態で映画館の座席に座ったが、それなりに面白く見た。映画は、世界最大のSNSをめぐる創業関係者の葛藤、友情、そして裏切りのエピソードを軸として、今日のベンチャー・ビジネス・シーンの実相に迫ろうとしている。

いくつか印象に残ったシーンがあるが、双子のウィンクルボス兄弟が、自分たちのアイデアをザッカーバーグが盗用したとハーバード大学学長に訴える場面では、学長が「アイデアを真似されたなどとつまらないことを言うな。自分たちで新しいプロジェクトを始めればよいではないか。ハーバードは学生に創造的であることを求める」と一喝するところがあった。我が意を得たりだ。そのとおりで、自分たちの独創的なプロジェクトを創造すること以外に、ベンチャーをやる意味などないのだ。他人のプロジェクトをあれこれ評論するようなことではなく、とにかくアイデアを作って自分のプロジェクトを立ち上げなければ話しにならない。自分自身のプロジェクトを持たなければ、どんなイノベーションも変革も、この社会に実現することはできないのだ。 続きを読む

医療の両義性

SageCommons

昨年末から話題になっている近藤誠医師の「抗がん剤は効かない」。このタイトルに強い既視感があったのだが、さてどこで目にしたのか、とっさには思いつかなかった。しかし、ふとしたはずみに昨年ポストしたエントリ「医療分野におけるデータ公開・共有の新展開 」を思い出した。昨年4月サンフランシスコで開催されたSage Bionetworks の”Sage Commons Congress”の冒頭プレゼンテーション・スライド(上図)には

“75% of cancer drugs don’t work.”

と記されていたのである。Sageにはファイザーやメルクが支援しているので「ここまで言っていいものか?」と強く印象に残ったのである。

ところで五年前、私の父が胃癌の診断を受け医師から全摘手術をすすめられていた頃のことだが、近藤医師の「がんもどき理論」をネットで知り、それに父が強く惹かれていたことがあった。無理に外科的切除をするよりも、がんとのいわば「共存」を説くようなその「理論」は、患者に取って新鮮で魅力的に見えたのであろう。私はその「理論」が10年前の90年代に発表された古いものであることを父に告げ、医師のすすめる全摘手術を早く受けるように言った。父は逡巡の末、全摘手術に同意したが、結局手術の失敗のために命をなくし病室から帰ることはなかった。結果論だが、もしも手術を拒否し「がんとの共存」を選択していたとすれば、あと2-3年は生存できたかも知れない。否、できなかったかもしれない。 続きを読む

医療ITイノベーションと危機

IMS

二十年ほど前から、米国ではPLD(prescriber-level data)というビジネスが開始された。これは処方箋データを薬局から買い取りデータベース化し、さらに医師資格データをAMA(米国医師会)から買い取りデータベース化し、これら二つのデータベースを結び合わせた上で、新たにデータを生成し製薬会社などに販売するものだ。

最初にこのビジネスモデルを開発したのはIMS Health社で、このPLDデータを製薬会社、医療機器会社、行政などに販売し大きな利益を獲得した。特にPLDデータをマイニング処理することにより、従来得られなかった医療に関する新鮮な知見が得られるようになったことが大きい。たとえばインフルエンザのアウトブレイクやそれへの医師の対応状況の把握、あるいは製薬メーカーのマーケティングへの活用など、PLDの活用領域は非常に広いものがあった。

IMSは全米の処方箋の70%をデータベース化し、やがて彼らのデータベースは米国の患者動向や医療実態を十分に把握できる規模に達した。それに伴い売り上げは2007年には22億ドルになり、直近の時価総額は50億ドルといわれる。これは医療分野では異例の急成長ビジネスである。 続きを読む