昨年末から話題になっている近藤誠医師の「抗がん剤は効かない」。このタイトルに強い既視感があったのだが、さてどこで目にしたのか、とっさには思いつかなかった。しかし、ふとしたはずみに昨年ポストしたエントリ「医療分野におけるデータ公開・共有の新展開 」を思い出した。昨年4月サンフランシスコで開催されたSage Bionetworks の”Sage Commons Congress”の冒頭プレゼンテーション・スライド(上図)には
“75% of cancer drugs don’t work.”
と記されていたのである。Sageにはファイザーやメルクが支援しているので「ここまで言っていいものか?」と強く印象に残ったのである。
ところで五年前、私の父が胃癌の診断を受け医師から全摘手術をすすめられていた頃のことだが、近藤医師の「がんもどき理論」をネットで知り、それに父が強く惹かれていたことがあった。無理に外科的切除をするよりも、がんとのいわば「共存」を説くようなその「理論」は、患者に取って新鮮で魅力的に見えたのであろう。私はその「理論」が10年前の90年代に発表された古いものであることを父に告げ、医師のすすめる全摘手術を早く受けるように言った。父は逡巡の末、全摘手術に同意したが、結局手術の失敗のために命をなくし病室から帰ることはなかった。結果論だが、もしも手術を拒否し「がんとの共存」を選択していたとすれば、あと2-3年は生存できたかも知れない。否、できなかったかもしれない。
私たちの生は、そのような不確実性のもとに危うく存在している。医療とて同様だ。誰も命を保証することなどできはしない。近藤医師は90年代には外科医を批判したが、今回は内科医を批判しようとしているようだ。これを現代医療に対する問題提起と取るか、あるいは一種のセンセーショナリズムと取るか。
だが考えて見れば、このような両義性はつねに医療につきまとっているのではないだろうか。医療事故などに際して医療者側からは「医療の不確実性」あるいは「医療は科学ではない」などと言われるのだが、今回の近藤医師のような言説に対しては、逆に「エビデンスの厳密性」や「科学としての医療」などに依拠した反論がなされる。第三者から見ればきわめて奇妙な光景なのだが、これが医療が置かれている現実なのだ。
三宅 啓 INITIATIVE INC.