闘病体験のフィールドワーク

私たちのパートナーである株式会社メディカル・インサイトが今月で創業二期目を迎えるようだ。まずは鈴木さん、おめでとうございます。今後も一層のご活躍を期待しています。

鈴木さんと初めてお会いしたのは昨年暮れ、たしか12月24日だったと記憶している。クリスマス・イブに突然現れたのだから、鈴木さんに「サンタクロース」のイメージをかぶせることは不自然ではない。密かに「サンタ鈴木」と呼んでいた。鈴木さんはTOBYOプロジェクトに強い関心をお持ちで、熱心なお申し出までいただき、結果として当方事業パートナーをお願いすることになったのだが、まさにTOBYOプロジェクトにとっての「サンタクロース」であった。そして、後にそのプレゼントが「DFC」であることがわかった。

当方は昨年11月頃から闘病体験データに基づくマネタイズを模索していたが、まだ概念やアイデアをあれこれ整理している段階であった。そこへまさにドンピシャの「DFC」というコンセプトを鈴木さんから頂戴した。現在、DFCはすでに開発途上にあるが、私たちだけでここまで進捗することはなかっただろう。鈴木さんに参画してもらい、とにかくTOBYOプロジェクトは長足の進歩を遂げたと思っている。 続きを読む

8月の終わりに

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今日で8月が終わる。例年この時期になると、夏が終る兆しをあちこちに目にして、じわっと「逝く夏を惜しむ」気分が漂いはじめる。しかし今年は、夏が終わる気配が微塵もない。炎暑は続き、熱風が吹き、蝉は鳴き、あたかも「Endless Summer」が現実のものとなるかのようだ。

年初から取り組んできたDFCだが、今月、サイト・デザインが完成しデータベース設計が始まった。まずまず順調に開発は進んでいると言えるだろう。10月末には、実際にデモンストレーションやユーザー試用が可能となるはずだが、この時分にはもう夏は去っているだろう。とにかく今までまったく存在していなかった新しいシステムなので、どのように受容されるか不安はあるが、医療分野に一つのイノベーションをもたらす可能性をはらんだ開発に取り組むことは、私たちにとって大きな誇りである。やはりベンチャーである限りは、なんらかのイノベーションを目指し挑戦しなければ、との思いは強い。 続きを読む

「団塊」から遠く離れて

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たしか二三年前までは内田樹氏のブログを読んでいたはずなのだが、いつしかまったく読まなくなってしまった。何か団塊の世代の世迷い言を聞かされているような、また中高年のふてぶてしい居直り言を聞かされているような気がして、だんだん読むことが不愉快になったからだ。

なんとなくこの内田樹という人は、「団塊の世代」のある種の部分を代表し代弁しているような気がする。村上春樹も団塊の世代のひとりであるが、最近のインタビューでは「団塊の世代の世代責任」という言い方で、この世代の「革命戦士-企業戦士-バブル戦士-逃げきり年金生活者」という生き方の「責任」を問うことが多い。このような同世代批判のリスクは小さくないはずだが、それをあえて言ってしまうところはさすがだ。70年代当時、大学を卒業すれば企業に就職するか大学院に進学するか、学生にとって選択肢はこの二つしかなかった。村上氏はどちらも選択せず、ジャズ喫茶のマスターという職を選んだのだ。

昨日の内田氏のエントリ「日本の人事システムについて」が各方面で話題になっている。これに対しメディカル・インサイトの鈴木さんが「内田樹教授にモノ申す」で鋭い批判を展開しているが、激しく同意する。鈴木さんの内田批判に全面的に賛成だ。この内田氏エントリは典型的な「団塊の世代のマインドセット」を代弁するものであり、学生に対する就職時の「査定、審査」の理不尽さを指弾するように見せて、結局は古い「戦後民主主義」への自分たちの郷愁を吐露しているようなものである。しかも理不尽なもの、不合理なことは、もちろん就職試験だけではなく「仕事」の全ての局面に存在する。 続きを読む

暑中御礼

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この暑い中、当方までわざわざご来訪いただいた方々に感謝。一昨日は立教大学の三浦さん、今日は神戸大学の小川先生、ケットさん、それに電通の藤野さん。みなさんありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

当方のような弱小ベンチャーが、果たして何かお役に立つお話ができたかどうか不安だが、持ち前の強固な思い入れと過剰なファイティング・スピリッツに火がつき、止まらぬ饒舌、枯れる声も裏返り、時間度外視のインタビューとなってしまった。

まずビジネススタイルに関して、当方ビジネスとNPOなどの事業スタイルについて異口同音に質問をいただいたが、当方の現在の立ち位置ははっきりしている。ベンチャーであれNPOであれ、とにかくイノベーションを実際に起こし、新しい価値を創らなければ何の意味もない。そこを「善意」とか「美しい話」でごまかしてはならない。真に社会に役立つということは、必死になって、命がけで「イノベーションと新しい価値」を創出することだ。善意で凡庸なる仕組みをごまかすことはできない。

私たちのDFCは、まさに「イノベーションと新しい価値」を具現化するためのチャレンジである。これをやるためにこれまでの数年間があったのだし、これをやるために起業したのだ。 続きを読む

医療評価、競争、進化

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昨日エントリでEHRなど医学情報と闘病体験ドキュメントの相互関係について考えたのだが、これは例の「EBMとNBM」みたいな話とは一切無関係である。エビデンスとナラティブを対置するような議論は、実は何ら生産的なものではなく、いわば「科学 対 人間」のように通俗的な、昔懐かしい対立図式を反復して見せているに過ぎないのだ。このような通俗性ゆえに、一見して、誰にもわかりやすい理屈に見えるのだ。しかしこれら通俗的論議は、今日の医療をどのように変えるのかという具体論を回避し、実践的課題から目をそらすためのレトリックに過ぎない。

患者体験ドキュメントに価値があるとすれば、それが「ナラティブ(物語)」であるからではなく、そこに実際に体験された「ファクト(事実)」があるからだ。「語り」という叙述の形式が問題なのではなく、どのような叙述形式であれ、それによって記録される内容(事実)のほうが価値を持つはずだ。そして事実は医療を可視化する。すなわち患者の目を通じて医療は可視化される。EHRなど医療情報システムによって記録された医学的事実と、患者の目を通じて自発的に記録された体験的事実。この「二つの事実」は、医療の実践者と被験者の双方の視点から観察された「事実」であり、実は医療のみならず、およそ「サービス」というものが避けがたく持つ二つの側面を示している。どのようなサービスも「提供者の事実」と「消費者の事実」という二面性を持っているのだ。 続きを読む