TOBYOプロジェクトのビジョン再考

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前回エントリで日本の「失われた20年」について触れた。たまたま読んだ「郵便的不安たちβ」(東浩紀、河出文庫)の冒頭「状況論」に80年代-90年代を総括する優れた評論があり、なるほど「失われた20年」は「バブルの80年代」の検討抜きには理解しがたいのかも知れないと気づいた。思い返せば、80年代という時代はポストモダニストと企業戦士が並び立つような奇妙な時代であった。「ニューアカ」と呼ばれた現代思想ブームと「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が矛盾せずに並立するような時代であった。この中で無邪気に「世界の先端を行くポストモダン社会=日本」という論陣が張られたが、今にして思えば、これらは古い「日本システム」を無批判に肯定する方向をもっていたのではないか。ポストモダニストも企業戦士もいつの間にか姿を消したが、無批判に「日本」を称揚する変奏曲は、さまざまに趣向を変えながらその後も反復されている。

ところで「郵便的不安たちβ」という評論集だが、この表題の「郵便的」という言葉に何か強く惹かれるものがある。たとえばネット上の闘病ドキュメントであるが、これも遠くの見知らぬ人にあてた郵便のようなものかも知れない。それが誰かのもとに届けられ、そして読まれるかどうかはわからないが、確かに自分の体験をネットに公開するという行為は、どこか郵便的な行為と似ている。そう考えると、TOBYOの役割はさしずめ郵便局ということになるだろう。ネット上に投函された郵便を、それを必要とする誰かのもとに確実に届けるために、効率よく仕分け整理分類することがTOBYOの役割と言えるだろう。

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千鳥ヶ淵を歩きながら考えたこと

Na_no_Hana

陽光の千鳥ヶ淵。もうソメイヨシノは盛りを過ぎそうだったが、あちこちに咲くお堀端の菜の花が春風に揺れてきれいだった。今日、ミーティングの約束時間まで、しばらく近所の千鳥ヶ淵を歩いて考えた。

今回の震災についてさまざまな論考をひと通り読んだが、震災を契機に日本の危機をあらためて論じるものが多い。ちょうど10年くらい前に「失われた10年」ということが言われていたわけだが、それでも日本は切迫した危機感というものを持たないまま、さらにその後の10年を怠惰に過ごしてしまった。日本全体が「ゆでがえる」化するままに奈落へ転落しつつある現実を、今回の震災は我々の眼前にこれでもかと突きつけている。「覚醒せよ!」と言わんばかりに。

この20年間にわたる政治・経済・社会の危機の深化を、おそらくこの震災は一挙に早めることになるだろう。それはまた、前世紀後半の著しい成長の時代からの根源的な訣別を意味するだろう。「幸福な時代」と今日とを分かつ不連続な切断線が今回の地震によって引かれたのだ。だから以前の状態を復元するのではなく、新しい状態を創造するほかない。復元図は津波にさらわれ、日々の連続は切断されたのだから。

このような時代において、私たちは医療分野におけるイノベーションにチャレンジしている。そして、そのことの意味を考えながらdimensions開発を進めている。

三宅 啓  INITIATIVE INC.

米国Health2.0サイトにTOBYOデモのビデオが登場

TOBYO_demo2010SF

4月になり桜もようやく満開へ。今週末が見頃か。それにしても寒い日が続く。地震後、世の中全体がシュリンクした感があるが、それでも少しづつ日常が戻ってきている。しかし、原発事故の行方はいまだに視界不良。過度の楽観論も悲観論も要らないから、ただ事実と、それが示す今後のありうべき可能性だけを冷静に公開してもらいたい。

当方の協力プログラマが被災地病院のサーバ修理に出向いたりと、TOBYOプロジェクトにとっても地震の影響は少なからずあったが、年初から着手してきたdimensions開発仕上げも一段落。まだバグフィックスや運用管理ツールなどを残しているのだが、立ちはだかっていた諸課題はクリアされ、基本機能をひととおりデモすることができるようになった。やれやれであるが、当初予定から相当遅れてしまった。実質的なサービスインは7月頃からとなる見込みだ。

ところで久しぶりに米国Health2.0サイトをのぞいてみたら、昨年10月サンフランシスコ・カンファレンスにおけるTOBYOデモのビデオ  がアップされていた。これは主催者側が撮った公式ビデオである。これを今見るとつい半年前のことであるのに、何か大昔の出来事のように思え、妙な懐かしささえ感じられた。プレゼンターはメディカルインサイトの鈴木さん。しっかり見事なプレゼンをしてもらった。不幸にして年末に袂を分ったが、結局、「縁がなかった」ということか。これも遠い過去の出来事のような気がする。 続きを読む

PatientsLikeMeとニールセン

Undergroundカンニング、閣僚辞任など話題になっているが・・・あまりに馬鹿馬鹿しくてまともに論じる気にならない。時間とアテンションの無駄というしかない。アテンションもまた有限な稀少資源だ。ただ、これら「見せ物小屋の大騒ぎ」を遠く見て、イノベーションに想いを馳せる、ある種の物狂おしい飢餓感に似たエネルギーが、この国でどんどん希薄になって行くことだけは実感できる。そして世界に類例のない奇妙な「成熟化」が、この国では急激に進行しているのかも知れない。だが、どのような言説もこの世情に対し上っ滑りに空転するのを見れば、黙って自分の課題を深耕するしかない。黙って、イノベーションの一つでも、二つでも、起こすしかない。このようにして、イノベーションは儚い人生の実践的課題となるのだ。

さて、やや旧聞に属するが、先日、PatientsLikeMeがニールセンと提携したというニュースを目にし、これは意外だった。ニールセンといえばメディア調査を得意とする老舗マーケティング会社だが、高度なテキストマイニング技術を持っているとのことで、PatientsLikeMeはそのマイニング技術を自社データの解析に用いるらしい。では今まで、自社UGCデータを、いったいどのように処理していたのだろう。PatientsLikeMeのことだから、独自開発のマイニング技術くらい持っているものと思っていたのだが、そうではなかったのが意外だった。だがテキストマイニングであれば、何もニールセンでなくともよいはずだ。もっと高度な技術を持っているところは少なくない。なぜ、ニールセンなのか?そう考えると、PatientsLikeMeがニールセンと組んだのはマイニング技術目当てだけではないと思える。本当のところは、ニールセンのマーケティング技術や実績が、PatientsLikeMeには魅力的だったのではないか。 続きを読む

春よ来い

Spring2011

三月の声を聞いても寒さは厳しい。日差しはもう春めいているのに風は酷く冷たい。アンビバレントな天候だ。当方プロジェクト開発の進みようは、まるで最近の天候さながらである。

dimensions開発は昨年末に基本プログラム開発を終え、その後、年初からデータ処理とバグフィックスに取り組んできた。特に拡張検索エンジン「Xサーチ」の実行スピードアップが問題だったのだが、これもなんとか乗り越えられそうだ。TOBYOで公開している現行「TOBYO事典」とは違う検索エンジンをdimensionsでは採用したが、このことが災いしたか、期待したスピードが出ずに四苦八苦していたわけだ。

また、これまでTOBYO本体は米国、dimensions開発環境はシンガポールのクラウドを使ってきており、どうしてもレイテンシの問題があったのだが、今月から東京のクラウドが使用可能となったので、これでずいぶん助かった面もある。昨夏amazonの渡辺さんにお会いしたとき、日本でもEC2をリリースする予定とうかがったが、今月からこれが実現されて当方にとってはありがたい。

だがこれら問題も、dimensionsのような、まったくこれまで存在していないサービスシステムの開発にはつきものだと割り切っている。そして一方では、この間、同時並行で市場開発および用途開発に関連して「アンバンドリング、リサーチイノベーション、主観的事実把握」のようなビジョン・方向性・アイデアなど収穫も少なからずあったと思う。 続きを読む