闘病記とPHR

あるテーマで週末から企画書を書いていた。その中で触発される形で、これまで考えてきたことを改めて点検したり、今後の方向性を想定してみたりしていたが、闘病記あるいは闘病ドキュメントについていくつかのポイントを確認できたように思う。

当初このブログは、闘病記とその価値をさまざまな観点から考察していたのだが、徐々にその中身は変わってきたと思う。特にストーリーや物語性という点で闘病ドキュメントを見ることから段々と離れて行き、「体験事実とデータ価値」という側面を重要視するようになってきた。人が「闘病記」に求めるものはさまざまである。だが、米国のPatientsLikeMeなどの影響もあるだろうが、「病気を治すデータ」という見方へと当方の闘病ドキュメント観は変わってきている。人は闘病記を書くために生まれてきたのではない。できれば闘病記を書かずに人生を送った方が幸せだろう。 続きを読む