ある物理学者の闘病体験データベース構想

ある方から教えていただいて、世界的物理学者で元東京大学宇宙線研究所長の戸塚洋二氏の闘病ブログサイト「The Fourth Three-Months」 の存在を知った。大腸から始まって肺、骨、脳と転移した自己の「がん」との闘病体験を、科学者らしく客観事実とデータを中心にまとめ上げたこの闘病記は資料価値の非常に高い記録になっている。残念ながら戸塚氏自身は昨年夏に亡くなっている

だが、この闘病記において戸塚氏は、自己の闘病体験の他に、ある一つの重大な提言をしている。それは「闘病体験データベースの構築」ということだ。そして奇しくもこのことは、まさに私たちがTOBYOで目指していることなのだ。

インターネットで「大腸がん」を検索してみると膨大なヒット数がありますし、ブログにも(私のも含めて)多くの体験談が載っています。しかし、検索に便利なように整理されていないことがネックで、上のような疑問の答えを探そうにも手に負えません。

何とかならないでしょうか。思いつくままにちょっと提案してみたいと思います。

まず、がん患者の知りたいことのほとんどは、上にあげた私の例のように、主治医には答えられないか答えたくない事項なのです。

われわれにとって本当に必要なのは、しっかりと整理され検索が体系的にできる「患者さんの体験」なのです。

当然ですが、これらの整理された体験談は例数が増えるにしたがって学術的にも貴重なデータになることは間違いありません。大学病院の先生方が細々とした科学研究費補助金をもらって個人的かつバラバラに調査を行っているようですが、全国的に体系がとれ整理されたデータでないとあまり役に立たないのです。

そのように整理された体験談があれば、検索によってその記録を見つけ、私にとって大変参考になる情報なら「自己責任」でもってそれを利用すればよいのです。

「大腸がん患者」にとって欲しいデータとは何か

続きを読む

People Get Ready


昨日、仕事を早く片付け、中野サンプラザへ山下達郎コンサートを聴きに行った。ファンクラブのメンバーである妻の知人が、私が古くからの達郎ファンであることを知って、昨年暮れから始まった全国ツアーの掉尾を飾るこの日のチケットを入手してくれたのである。これまでシュガーベイブ時代から、達郎氏の作品は発表のたびに全部入手してきたが、コンサートと言えば1976年のシュガーベイブ解散コンサート以来であり、なんと33年ぶりのライブ体験なのである。

ニューヨークのストリートコーナーを模した舞台オブジェをバックに登場した達郎氏。全国ツアーでしっかり歌い込んだ声は絶好調で、かつて、学生時代に聞いて驚嘆した、あの大きく張りのある声を再び生で聴くことができた。夕刻6時半に開演したコンサートは、終わったのがなんと10時半。ライブパフォーマーとしての力は衰えず、まったく時間の長さを感じさせなかった。あっと言う間にフィナーレになだれ込み、シュガーベイブ時代の「ダウンタウン」が演奏されたが、聞きながら、なんだか複雑な思いが去来するのを感じた。そう言えば33年前、荻窪ロフトの解散コンサートのラストで、この曲のイントロと同時に「これで最後だ!」と叫んだ達郎氏の声が今も耳に残っている。その同じ楽曲が33年の時間を越えて、目の前でライブ演奏される場に立ち会う自分。まるでこの33年間という時間が、まったく存在しなかったような錯覚に襲われた。 続きを読む

病院とソーシャルメディア

海外では、ブログ、Twitter、SNSなどソーシャルメディアを活用する医療機関が増えてきている。その動向を知る上で恰好のスライドが公開された。スライド制作者はメリーランド大学メディカルシステムのウェブ戦略ディレクターを務めるエド・ベネット氏。ソーシャルメディアを病院のコミュニケーション活動に活用するためのガイドとして役に立つ。

ところで、日本でこのような活動例をまったく耳にしないのが奇異に思えるのだが、伝統的に日本の病院は社会とのコミュニケーションを等閑視してきたと言えるだろう。海外では、たとえばメイヨークリニックなどは「医療通信社」と言えるほどの規模のコミュニケーション事業を擁しており、マスメディアや社会に向けてニュースやコンテンツ配信を積極的に行っているが、日本ではこのような事例は皆無である。「ソーシャルメディアの活用」云々を言う前に、いまだコミュニケーション活動に対する基本認識の形成段階にあるのが日本の医療の現状と言うべきかもしれない。

三宅 啓  INITIATIVE INC.

TOBYO事典、本日から新バージョン公開

TOBYO_JITENtest_0905

本日、TOBYO事典テスト版の新バージョンを公開した。新バージョンはインデクシングページ数を200万ページと大幅に増やし、従来分離していた一般サイトとブログサイトの検索を一本化した。また、検索結果の視認性を高めるために、検索結果タイトルをブルーで表示することにした。

依然として「テスト版」を表示しているが、これは「まだまだ改善する余地をたくさん残している」という意味合いとしてご理解いただきたい。これから使い勝手も精度も、継続して改善していかなければならない。だがようやくこれで、日本初の闘病体験バーティカル検索エンジンが本格的に稼働し始めたことになる。何よりもまず、自分の闘病体験を闘病ユニバースに公開してくれた多くの方々に、深く感謝したい。このような多くの方々の自発的な活動が、結果として「200万ページの闘病記」を作り上げたという事実は、本当に驚くべきことである。そしてこれがインターネットによって初めて可能となった、という点も特筆すべき事柄だと思われる。 続きを読む

ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)

homo_ludens

最近、新聞を開くと「無趣味のすすめ」という本の広告をよく目にする。村上龍氏のエッセーをまとめたもので、そこそこ売れているようだ。広告には、その本から以下の文章が引用されており目を惹く。

現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。

二三年前、ある雑誌に掲載されたこの文章に接し、妙に感心したことがあった。だが、改めて広告でこの文章を今読むと、「そーかなぁ?」と素直に納得できない自分がいることに気がつく。そして同時に、歴史家ホイジンガの「ホモルーデンス」のことを思い出したのである。「ホモ・ルーデンス」とは「遊ぶ人」のことである。村上龍氏が「趣味」と対比的に取り出した「仕事する人」だけが人間のすべてではないだろう。人間は「仕事」をしてきたし、そこには村上氏が言うように「真の達成感や充実感」があっただろうが、一方で人間は「遊ぶ人」であり、無心に遊び続けてきたのだ。 続きを読む