書評:「医療鎖国 ~なぜ日本ではがん新薬が使えないのか~」中田敏博、文春新書

Iryou_Sakoku

医療を自分のテーマにして以来、さまざまな医療関係の方々からお話を聞いたり、医療関係の本を読んだりしてきたのだが、それらに何か根本的な違和感というものを常に抱き続けてきたと思う。その違和感が何に由来するかを考えてきたのだが、結局、「日本の医療を語る言説空間というものが、どういうわけか歪んでいる」というぼんやりした印象を持つに至ったのである。そのことをこのブログでさまざまに書いてきたわけだが、本書を読み、これまでのぼんやりした「違和感」の霧が晴れ上がったような気がした。日本医療は鎖国していたのだ。

この「鎖国」は、米国シリコンバレーで医療ベンチャーキャピタルを起業した元医師の目から、つまり「外部」の専門家から可視化されたのである。なるほど「鎖国」を内部から見通すことは難しい。そして「鎖国」という指摘によって、今までぼんやりと、しかもてんでばらばらに存在しているかのように見えた日本医療を取り巻く問題の諸相が、一挙にわかりやすく、はっきりと見渡せるようになった。良書である。 続きを読む

医療経済-福祉厚生社会と伊藤計劃

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先月6月18日、政府は「新成長戦略~「元気な日本」復活のシナリオ」を閣議決定した。この中で「強みを活かす成長分野」として以下の三分野があげられている。

(1)グリーン・イノベーション
(2) ライフ・イノベーション
(3) アジア経済

この「(2)ライフ・イノベーション」には「医療・介護・健康関連産業を成長牽引産業へ」との副題が付されている。昨年来、政府は医療・介護分野を「成長の柱」として位置づけてきたのだが、こうも声高に「医療を成長分野に!」と言われてしまうと、なにか違和感を強く感じてしまう。たしかに特にバイオ先端技術などが次世代成長分野であることは間違いないのだが、それでも「医療・介護で経済成長!」などとハデにブチ上げられると、そのお手軽で軽薄な調子の良さに居心地の悪さを覚えるのだ。

そんなことを考えているさなかに、たまたま書店で手に取った「ハーモニー」(伊藤計劃、早川書房)には、まるで当方の心を見透かすかのように、以下の紹介文が付されていた。

「一緒に死のう、この世界に抵抗するために――」
御冷ミァハは言い、みっつの白い錠剤を差し出した。21世紀後半、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は医療経済を核にした福祉厚生社会を実現していた。誰もが互いのことを気遣い、親密に“しなければならない”ユートピア。体内を常時監視する医療分子により病気はほぼ消滅し、人々は健康を第一とする価値観による社会を形成したのだ。そんな優しさと倫理が真綿で首を絞めるような世界に抵抗するため、3人の少女は餓死することを選択した ──。
それから13 年後、医療社会に襲いかかった未曾有の危機に、かつて自殺を試みて死ねなかった少女、現在は世界保健機構の生命監査機関に所属する霧慧トァンは、あのときの自殺の試みで唯ひとり死んだはずの友人の影を見る。これは、“人類”の最終局面に立ち会ったふたりの女性の物語 ──。『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。

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書評:「歴史は『べき乗則』で動く」

 UBIQUITY

たまたま書店で何の予備知識もなく手にとった「歴史は『べき乗則』で動く—種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学–」(マーク・ブキャナン、ハヤカワ文庫) だが、これが読み始めると止まらない面白さだ。途中、マンデルブローのフラクタル幾何学が出てくるあたりで、「ひょっとして、これは『二匹目のドジョウ』ならぬ『二匹目の黒鳥』ねらいか?」とも思った。昨年話題になったナシーム・ニコラス・タレブ「ブラック・スワン—不確実性とリスクの本質」(ダイヤモンド社)と基本的なテーマは同じと考えてよいだろう。

だが、実は本書は2003年にハヤカワから出た単行本「歴史の方程式—科学は大事件を予知できるか?」を改題し新たに文庫化したものらしく、「ブラック・スワン」よりも先に上梓されている。調べてみると「ブラック・スワン」下巻に本書についての言及があるとのことだ。そうすると「一匹目の黒鳥」はこっちの方だったのか?そんなことはどうでもよく、目次を一瞥しただけで本書の面白さは十分にわかるだろう。

第1章 なぜ世界は予期できぬ大激変に見舞われるのか
第2章 地震には「前兆」も「周期」もない
第3章 地震の規模と頻度の驚くべき関係--べき乗則の発見
第4章 べき乗則は自然界にあまねく宿る
第5章 最初の地滑りが運命の分かれ道--地震と臨界状態
第6章 世界は見た目よりも単純で、細部は重要ではない
第7章 防火対策を講じるほど山火事は大きくなる
第8章 大量絶滅は特別な出来事ではない
第9章 臨界状態へと自己組織化する生物ネットワーク
第10章 なぜ金融市場は暴落するのか--人間社会もべき乗則に従う
第11章 では、個人の自由意志はどうなるのか
第12章 科学は地続きに「進歩」するのではない
第13章 「学説ネットワークの雪崩」としての科学革命
第14章 「クレオパトラの鼻」が歴史を変えるのか
第15章 歴史物理学の可能性 続きを読む

日曜日とタラ・ハント「ツイッターノミクス」(文藝春秋)

Tara_Hunt

春の到来。早くも来週あたりから桜が咲くらしい。

午前中、妻と新宿ピカデリーで「インビクタス」 を観る。ラグビー好きにはこたえられない映画。すでに語られたことではあるが、やはりネルソン・マンデラとリーダーシップ論について考えさせられた。だが早稲田ラグビーを辞めた中竹前監督の「フォロワーシップ論」もなかなか捨てたものではないと思う。

午後、墓参りに愛宕山の寺へ。その後、池袋でCDショップと書店を見て歩く。CDショップでスコット・ウォーカーのオリジナルLPを二枚発見。ジュンク堂でタラ・ハント「ツイッターノミクス」購入。

帰宅してスコット・ウォーカーの二枚を早速ターンテーブルに乗せて聴く。やはりフランスのジャック・ブレルへの傾倒を確認したが、この「早すぎる老成ぶり」をどのように解釈すればよいのだろうか。まるでフィル・スペクター・オーケストラをバックにジャック・ブレルが歌うような違和感を感じる。だが、それでいてボーカルの技術は完璧でしかも表現は深い。うますぎるところがスコット・ウォーカーの欠点だ。 続きを読む

どうして医療ソフトウェアがタダになるのか?

FREE

話題の書「フリー <無料>からお金を生み出す新戦略」(クリス・アンダーソン)を大変興味深く読んでいる。医療関連のケーススタディとしては、このブログでも紹介した「無料EHR」のPractiseFusion社が取り上げられている。

2007年11月以降、サンフランシスコに拠点を置く新興企業のプラクティス・フュージョン社の無料ソフトウェアに、数千人の医師がサインアップして、電子カルテと医療業務管理ツールのシステムを利用している。そうしたソフトウェア製品は通常5万ドルはする。なぜ同社は電子カルテシステムを無料で提供できるのだろうか?(同書、139ページ)

この問に対する答えは次のようなものである。

データを売るほうが、ソフトを売るよりも儲かる

医師一人当たり250人の患者を受け持つとすれば、最初のユーザー医師2,000人から50万件の医療データが集められる。このデータを匿名化し医学研究機関に売ると1件あたり50ドルから500ドルで売れる。もしも1件あたり500ドルであれば売上総額は2.5億ドルになる。これは医師2,000人に対し、5万ドルのEHRシステムを売って得られる1億ドルよりも大きな収入である。また、PractiseFusion社のEHRはAdSenseなど広告掲載タイプが無料、広告なしタイプが月額使用料100ドルという「フリーミアム+広告」モデルであり、この両者からの収入も加算されるわけだ。 続きを読む