岡本太郎のベンチャー・スピリッツ

Tarou_Okamoto

竹橋の国立近代美術館で岡本太郎展を見た。悪い予感があたった。予定よりも少し遅れて、それでも午前10時過ぎに到着したのだが、すでに会場は長蛇の列だった。それでもスムーズに入場できたが会場内は大混雑。ゴールデンウィークだし、また最近テレビで岡本太郎をかなり取り上げてもいたし、ま、こんなものだろうと思った。しかたない。

しかし、たとえ大混雑の会場で作品が見にくいことがあったとしても、やはりこの展覧会を見てよかったと思った。むしろ、このような雑踏の会場こそが岡本太郎の作品には似つかわしいのではないか。

今回の展覧会では「NON」という岡本太郎の基本姿勢に焦点をあてていたが、このような「否定形」を日本人は好まないはずだ。いつ頃からか、「ネガティブよりもポジティブを!」という空気が日本を覆い尽くしてすでに久しい。だが岡本太郎のように根底から革新的な芸術表現を追求していこうとすれば、それは既存の芸術に鋭い「NON」を突きつけることになる。現にあるものをまず否定してみなければ、本質的に新しいものを作ることはできないはずだ。そのために、岡本太郎はピカソをはじめ既存芸術から日本文化までを、すべて否定し続けた。その「否定のエネルギー」たるや凄まじいものだし、またそれを終生継続したこと自体がすごいことだ。 続きを読む

連休の過ごし方


大型連休進行中。

当方、今年のゴールデンウィークは「仕事しながら休む」という変則的なスタイル。連休谷間も仕事に出たが、朝の電車など結構出勤する人が多かった。

先月の月末、細野さんの話題の新作“Hosonova”が出た。当然、早速CD屋に走り、買って聞いてみたが、すごくいい。何というか、ちょうど今の、つまり3.11以降の時代の気分に、どことなくぴったり合っているような気がする。どこにも「がんばれ!」などという力んだ言葉はないのだが、脱力したこの感じが実に気分いい。33年前の「Paraiso」から、そのまんま時空を越えて届けられたような楽曲もあるのだが、耳を澄ませばあちこちに、この30年間の試行の跡がうかがえる。待望された肉声のPOPSということでは「Paraiso」以来の作品。

その作品群の中でも一番チャーミングな曲「悲しみのラッキースター」。ビデオが公開されたのでご紹介してみた。マン・レイみたいな、どこかシュールレアリスムな映像を想起させる。だがこのCDは、表面上は穏やかな表情を持ちながらも、同時に怖い顔を持ち、玄妙な味わいの曲があるのが興味深いところ。たとえば4曲目の「ローズマリー、ティートゥリー」の次の一節。

It’s a good day to die.

楽しく、滋味深く、リラックスできて、心優しい、そして何か心に説明不能な淡々とした悲哀と違和感が残る。そんな素敵で極上の楽曲群。毎日、聞いていたい。

そんなことを考えながらTOBYOプロジェクトは進む。ますます面白くなっていく。このまま進むだけ。

ぎこちなくこのまま、死ぬまで生きるだけ。 (“Walker’s Blues”)

三宅 啓  INITIATIVE INC.

TOBYOプロジェクトのビジョン再考

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前回エントリで日本の「失われた20年」について触れた。たまたま読んだ「郵便的不安たちβ」(東浩紀、河出文庫)の冒頭「状況論」に80年代-90年代を総括する優れた評論があり、なるほど「失われた20年」は「バブルの80年代」の検討抜きには理解しがたいのかも知れないと気づいた。思い返せば、80年代という時代はポストモダニストと企業戦士が並び立つような奇妙な時代であった。「ニューアカ」と呼ばれた現代思想ブームと「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が矛盾せずに並立するような時代であった。この中で無邪気に「世界の先端を行くポストモダン社会=日本」という論陣が張られたが、今にして思えば、これらは古い「日本システム」を無批判に肯定する方向をもっていたのではないか。ポストモダニストも企業戦士もいつの間にか姿を消したが、無批判に「日本」を称揚する変奏曲は、さまざまに趣向を変えながらその後も反復されている。

ところで「郵便的不安たちβ」という評論集だが、この表題の「郵便的」という言葉に何か強く惹かれるものがある。たとえばネット上の闘病ドキュメントであるが、これも遠くの見知らぬ人にあてた郵便のようなものかも知れない。それが誰かのもとに届けられ、そして読まれるかどうかはわからないが、確かに自分の体験をネットに公開するという行為は、どこか郵便的な行為と似ている。そう考えると、TOBYOの役割はさしずめ郵便局ということになるだろう。ネット上に投函された郵便を、それを必要とする誰かのもとに確実に届けるために、効率よく仕分け整理分類することがTOBYOの役割と言えるだろう。

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千鳥ヶ淵を歩きながら考えたこと

Na_no_Hana

陽光の千鳥ヶ淵。もうソメイヨシノは盛りを過ぎそうだったが、あちこちに咲くお堀端の菜の花が春風に揺れてきれいだった。今日、ミーティングの約束時間まで、しばらく近所の千鳥ヶ淵を歩いて考えた。

今回の震災についてさまざまな論考をひと通り読んだが、震災を契機に日本の危機をあらためて論じるものが多い。ちょうど10年くらい前に「失われた10年」ということが言われていたわけだが、それでも日本は切迫した危機感というものを持たないまま、さらにその後の10年を怠惰に過ごしてしまった。日本全体が「ゆでがえる」化するままに奈落へ転落しつつある現実を、今回の震災は我々の眼前にこれでもかと突きつけている。「覚醒せよ!」と言わんばかりに。

この20年間にわたる政治・経済・社会の危機の深化を、おそらくこの震災は一挙に早めることになるだろう。それはまた、前世紀後半の著しい成長の時代からの根源的な訣別を意味するだろう。「幸福な時代」と今日とを分かつ不連続な切断線が今回の地震によって引かれたのだ。だから以前の状態を復元するのではなく、新しい状態を創造するほかない。復元図は津波にさらわれ、日々の連続は切断されたのだから。

このような時代において、私たちは医療分野におけるイノベーションにチャレンジしている。そして、そのことの意味を考えながらdimensions開発を進めている。

三宅 啓  INITIATIVE INC.

地震で考えたこと

Flower

地震からすでに10日経った。未曾有の地震と津波は、形容する言葉もないほど圧倒的な自然の力をあらためて認識させた。また、いつ止むとも知れぬ原発事故は、人間の非力さと未熟さを、これでもかと見せつけるに十分だった。

連日繰り返されるマスコミ報道を目にしたが、そこに登場する「常連」達の発する言葉の空疎さと無力さを確認するのみだった。このような圧倒的な事件の前では、どのようなまっとうな言論も、すべてが「言論ゲーム」に見えてしまうのだ。だから、「すべての現実を論理的に語ることができる」と錯覚する饒舌ではなく、「本当は何も語り得ないのだ」と悟る沈黙の方が、まだしも良心的なのかも知れない。

その中で、「ほぼ日」糸井重里氏の「東日本大地震のこと」は、この状況下で言語化しにくいことを、それでもなんとか言葉にしてみようという良心的な行動だと思った。

巷間、「このような状況下で、私にできることは何かを考えている」というふうな言説があちこちに目につくが、自分にとって「できること」とは日常の仕事をしっかりやることであり、そのことはTOBYOプロジェクトをしっかりやることに他ならない。まず各人が、それぞれの場所で、それぞれの仕事をしっかりやることにつきるのではないか。 続きを読む