ウェブ闘病記とパブリック

たとえば最近出た「リアルのゆくえ」(大塚英志、東浩紀、講談社現代新書)を読むと、「パブリック」をめぐる議論が決して対談者双方の交点を見出すことなく、延々とすれ違いながら展開される光景に呆然としてしまうのだ。「パブリック」という、わかったようで実のところよくわからない概念で何かを語ろうとするとき、どんな議論もどこかですれ違ってしまい苛立ちだけが残る。

それよりも「パブリック、公共性」という言葉自体が、今日こんなに露出してきたのはなぜなのか。前書では次のような発言がある。

「東 ちょっと話を変えますがGoogleというサービスがありますね。ぼくは、むしろああいうものから新しい公共性について考えたいんです。
人間は共同で何か仕事をしないと生きていけないから、人と人を繋ぐテクノロジーは必要である。しかし、そのテクノロジーが、すごく大きく変わるときがある。そもそも国家だって、みんなが国家をつくろうと思ってつくったのではなく、ある技術的条件のなかでなんとなくできあがった共同作業のシステムが、事後的に「国家」と呼ばれ、公共性が見出され、その運営システムが開発されてきたということだと思うんです。そういう観点からすると、いまGoogleのようなウェブサービスは全く新しい共同作業のプラットフォームとしてあって、その運営方法も従来の公共的なコミュニケーションとはぜんぜん違う。しかも、いま現にそれが人々の生活に巨大な影響を与えている。そこには新しい公共性の可能性を感じます。(「リアルのゆくえ」第三章2007年)」

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TOBYO事典をパワーアップ

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昨日(8月27日)、闘病者(患者、家族、友人)の新しい情報共有ツール=TOBYOは、闘病サイト全文検索サービスである「TOBYO事典」をトップページに配置し、より一層、闘病情報をユーザーが簡単に検索できるようにレイアウトを修正した。「TOBYO事典」は、指定したサイトだけを検索対象とする「バーティカル検索エンジン」と呼ばれる検索サービスで、これによってユーザーは多数の闘病サイトを一度に横断検索でき、闘病者が実際に体験した事実をスピーディーに簡単に探し出すことができる。この「TOBYO事典」は、世界初の闘病体験に特化したバーティカル検索エンジンである。

と、ニュースリリース風に書き出してみたが、「TOBYO事典」をトップページに配置しなおし、「事典」がTOBYOのメイン機能であることを明確にした。ユーザーが求めているのは「物語としての闘病記」よりも、病院、医師、薬、治療方法など、実際に他の人が病気と闘うプロセスで体験した「事実」である。ユーザーのニーズは「物語を読みたい」というニーズであるよりも、むしろ「他の人が体験した事実を知りたい」というニーズである。実際に闘病生活に役立つのは「物語」ではなく、実践的な「体験された事実」である。 続きを読む

日本のPHR(Personal Health Records)について

最近、PHR(Personal Health Records)について意見を求められることが多い。たしかに、日本語のまとまったPHR情報を探してもこのブログぐらいしかソースがない。そこで当方に問い合わせをしてみよう、ということなのだろう。以前はそれらの問い合わせに応じて、当方で把握している情報を提供したりすることもあったのだが、最近はこの種の問い合わせには対応しないようにしている。この場を借りて、問い合わせをされて来られる方々には不義理をご容赦願いたい。

まず、当方はPHR評論家でも研究者でもない。昨年来、Google Healthを中心にPHRに関するエントリはずいぶん書いてきたが、それらも新しい医療サービスを考える手がかりや教材として、また純粋に当方の思考実験材料に利用したにすぎないのである。それに、情報ソースもすべてウェブ上に公開されているものばかりであり、特別な取材源を持っているわけでもない。だから、誰でもすこし丹念に調べるつもりさえあれば、フィードリーダーなどを活用して必要な情報を好きなだけすぐさま集めることができる。中には「リンクやOPMLまで提供してほしい」というご要望を頂戴することもあるが、そこまで当方が手取り足取りして面倒をみるわけにも行かない。どうかご自分でお探しいただきたい。また、もちろんこのブログで利用できるところがあれば、どんどん使ってもらって結構である。 続きを読む

二つの視線

ブログを書くようになって、いろいろな人から声をかけてもらい意見交換する機会が増えてきている。テーマは様々だが、やはり新しい医療サービス、それもウェブを利用したサービスの可能性について議論することが多い。新規事業アイデアの可否をめぐって意見を求められることもある。もちろん、これらのディスカッションが自分にとって興味深いことは間違いないのだが、そこに何か言葉にならない違和感を覚えてしまうことも多い。

その違和感を探ってみると、「医療界から事業を見る視線」と「事業から医療界を見る視線」が互いに交差点を持たないまま行き交う現場に立ち会うことへの、一種の苛立ちがそこにあることに気づく。その二つの視線が仮に交差するとして、理屈の上ではその交点に「患者」が見えなければならないはずなのだが、いくら議論しても患者は現れず交点も見えてこないのだ。しかも一方では「患者中心の・・・・」とか「患者に優しい・・・・」などと、歯の浮くような美辞麗句が空々しく語られているのである。 続きを読む

秋へ向け動き始めるTOBYO

しばらくブログを休んでいた。この間、TOBYOの進路修正などをいくつか検討し、秋以降の展開を考えていた。「iza!」読者のみなさんには、TOBYOといってもまだ馴染みはないだろうが、TOBYOはウェブ上に闘病者が自発的に構築してきた「闘病ネットワーク圏」を可視化し、そこに蓄積されてきた闘病体験の共有をめざすプロジェクトである。「闘病ネットワーク圏の可視化」とは、「どこに、どんな闘病サイトがあるか」を明らかにすることであり、次に闘病ネットワーク圏の横断的検索機能を提供することによって、闘病者が実際に体験した事実と”Wisdom of Patients”の共有が可能となる。

「どこに、どんな闘病サイトがあるか」を明らかにするために、春先から闘病サイト情報収集活動に取り組んできたが、これはようやく当初目標の1万サイトに近づきつつある。日本語の闘病ネットワーク圏がどの程度の大きさであるかは不明だが、現時点の感触では、およそ2万-3万サイトの規模ではないかと推定される。ただ、今年に入って新規開設の闘病サイト数は、以前にもましてかなり大幅に増えているような気がする。もちろん閉鎖されるサイトもあるのだが、全体として日本語闘病ネットワーク圏が膨張を続けていることはまちがいない。 続きを読む