仮想対談:「 ビッグデータ、Patient Portal」

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客) ようやく、春らしくなってきたね。

主) 今朝、石神井公園を歩いたが桜はまだだ。新宿と違って、こっちは梅はだいたい終わったね。あちこちでウグイスが鳴いていたな。

客) ところで、TOBYOの収録サイト件数も3万4千件まで来たね。当初、「闘病ユニバースは約3万サイト」と推定していたけれど、もうそれを越えてしまった。

主) 今の時点で、だいたい5万サイトまで見えている。昨年あたりから、ブログで闘病体験を書く人は増えていて、中身も充実したものが多いような気がする。最近、特に印象に残ったものでは、先日、3月11日名古屋ウイメンズ・マラソン2012を走った乳がん患者の「メモ」というブログがある。これは質・量ともにすばらしい。

客) タイトルが「メモ」と素っ気ないが、中身はすごいね。乳がん患者になった人に、まず読むようにすすめているブログだ。

主) 最近の闘病ブログは全体としてかなりクオリティが上がってきている。自然発生的にネット上に生まれた「闘病ユニバース」だが、やっぱりそれ自体の歴史というものがあり、進化してきているのかもしれないね。

客) 誰かが最初に開発した闘病ドキュメントのフォームがテンプレートとして利用され、やがて、次々に新しい工夫が加えられるような「継承と発展」みたいなことが起きているのか。

主) そうだな。そもそもTOBYOプロジェクトは、ネットの深層で人知れずひっそりと公開されている貴重なドキュメントを可視化する試みともいえるが、これからはコンテンツの「保存」ということを意識する必要があるだろう。

客) そうだね。一昨日公開された海部美知さんの記事「ビッグデータとプライバシー」(日経ビジネスオンライン)を読んで、そのことを考えさせられたよ。

主) うん、すごく良い記事だな。触発されるところが多く「なるほど」と感心したね。

「実際、今やってみても何も見つからないかもしれないが、5年後、10年後、もしかしたら50年後には、データから何かを引き出す技術が出てくるかもしれない。」

ということだが、たしかに今ネット上に公開されている闘病ドキュメントはひょっとしたら5年後、10年後、50年後の医療に役立つデータなのかも知れないと思ったよ。

客) やはり大切なのは「データ」なんだよ。最近、海外のビッグデータ界隈では「データは新しい石油」と言われているそうだが、TOBYOプロジェクトをやってみて、僕らも実感としてこの言葉がわかるようになった。

主) そうだ。ひたすら闘病サイトを3万4千件、450万ページも集めてきたのも、「データ」が僕らのプロジェクトの最重要ファクターだと考えてきたからだ。まあこれも、ティム・オライリーが2005年に”Data is Next ‘Intel Inside’”と言った言葉に導かれてきたようなものだが、その後「ビッグデータ」というバズを作ったのもオライリーだった。

客) 昨年あたりから「ビッグデータ」がウェブの中心テーマになってきている。

主) うん。とは言えTOBYOの3万4千サイト、450万ページを「ビッグデータ」と言うには面映いね。この程度のサイズではね。ビッグデータというには二桁ほど違うような気もする。

客) そうだが、もともと医療分野ではデータ・サイズというものをあまり重視しないのかね?亡くなった物理学者の戸塚洋二さんが、「物理学者なら、とりあえずデータを1テラほど集めてから分析しようとなるが、医療では100症例にも充たないデータで何かを言おうとするのが解せない」と発言していたな。

主) うん、たとえば乳がんや前立腺がんの「患者の語り」とやらを、50例づつほど集めて「データベース」というのもなあ・・・。当事者に違和感はないのだろうか。

客) あの「患者の語り」サイトか。一時期、大騒ぎしていたマスコミもまったく触れなくなったな。今にしてみると当事者もマスコミも、何か、ウェブというものを本質的に勘違いしていた節があるね。

主) 次の言葉をよく噛みしめてみるべきだな。

「ウェブの世界では、データを原料としてサービスを生み出し、ユーザーがそれを使うとさらにデータが吐き出されて、新たなサービスの原料となる。いわば、知識で知識を生み出すことを可能にする「ビッグデータ」は、ウェブ業界の基幹技術であり、それをいかに使いこなしてプロダクトやビジネスモデルに結びつけるかが勝敗を決する。グーグルがヤフーに、フェイスブックがマイスペースに勝ったのは、ビッグデータの使い方の巧拙が大きく影響している。(「知識で知識を生み出すビッグデータとは(前編)」 )」

客) やはり医療はビッグデータということでも、一番遅れている分野だな。米国でも、オバマ政権の医療データ・デジタル化推進政策によってようやく端緒は開かれたのだろうが、まだまだデータが社会的に環流して、さまざまなサービスが生存するエコシステムが出来上がるには遠い。

主) 日本ではデジタル化は進んでいるが、データは個別医療機関ごとに死蔵されているようなものだ。今のところ、これら医療データを社会的に環流させて、医療ビッグデータとして利用することは不可能に近い。医療ビッグデータの利用によって、医療が劇的に進化する可能性は閉ざされている。

客) 最近、先進国が今後も競争優位を維持するためには、ビッグデータ活用が不可欠という議論が出てきているが、一方では相変わらず「プライバシー&セキュリティ」という問題で大騒ぎする向きもある。

主) 「プライバシー&セキュリティ」を全面的に重視すると、データの公開や環流の道を閉ざすことになり、結局、さまざまな知識生産やユーザー利益を損なうことに繋がる。そのあたりをどう選択するかが問題だな。

客) そう、バランスの問題だ。

主) われわれのTOBYOプロジェクトは、ビッグデータと呼ぶにはまだ規模は小さいが、それでも従来の患者ドキュメントの量的水準から見ればかなりの量的サイズに達している。これを更に拡大し、まさに「5年後、10年後、50年後」の医療に役立つデータとして蓄積を進めていこう。患者体験ドキュメントは、いわば「さまざまな医療データの結節点」となるデータだ。さまざまな医療データを患者体験という結節点へ統合する、そんなイメージで、われわれなりに医療ビッグデータに取り組みたいね。

客) そうだ、最近、米国のe-Patientムーブメントなどでは「患者個人の手元に医療データを集約する」という主張が出てきている。これはこれまでのPHRのようなイメージとは少し違う。”Patient Portal”などという言葉も出てきており興味深い。EHRベンダーなどからEHRに付加したいという声もあるようだ。

主) なるほど。医療者側だけが、個人医療データを分散して蓄積するような時代は終わろうとしているのだな。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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