昨年あたりから「参加型医学」(Participatory Medicine)という言葉が散見されるようになったが、今年になって米国で参加型医学協会が設立され、来月10月21日からオンライン・ジャーナル「Journal of Participatory Medicine」が刊行される。これはオープンソースの「Open Journal Systems」で編集された電子ジャーナルで、「医学文化をもっと参加型のものに変える」ことをミッションとして、かなり学術的な観点から「患者の医療参加」を研究発表する場として機能するようだ。
この参加型医学協会の母体となったのは「e-Patients.net」 http://e-patients.net/ だが、この団体は以前からそのユニークな活動で知られており、最近はHealth2.0コミュニティとも連携しはじめている。そのせいか、「Journal of Participatory Medicine」のアドバイザリーボードにはアダム・ボスワース、エスター・ダイソン、デヴィッド・キッベなど、Health2.0コミュニティの主要メンバーが名を連ねている。
ところで「e-Patients.net」で以前公開された「e-Patients白書」では、次のような「患者駆動医療:七つの仮説」が掲げられている。これは「参加型医学」の基本原理ともいえるものだが、なかなかに興味深い。
- e-Patientsは価値ある貢献者であり、医療提供者は彼らをそのように認識すべきだ。
- 患者をエンパワーする方法は、一般に考えられている以上にたいへんなことだ。
- 実用に役立つオンラインリソースを提供する患者の能力は、これまで過小評価されてきた。
- 不完全なオンライン医療情報の危険性は、これまで過大評価されてきた。
- 医療は可能な限りいつでも、患者の領分で提供されるべきだ。
- 医療者はもはや独力で良い医療を提供することはできない。
- 医療を改善する最も効果的な方法は、もっとそれをコラボレーティブにすることだ。
以上の7仮説のうち、当方が注目したのは仮説3と仮説4だ。仮説3は、まさにネット上で公開されている闘病記など闘病体験ドキュメントのことと考えてよいだろう。医療者側はこれらUGCにあまり関心も興味もないようだが、いまさら言うまでもなく、闘病者の間では最も役立つ情報源となっている。
そして仮説4だが、これは特に興味深い指摘だ。これまで「ネット上の医療情報」といえば、それらをいかに活用するかよりも、むしろ不完全な情報を「いかに取り締まるべきか」という規制論の方が先行してきた。この背景には、「患者は医療情報を見極める力がなく、しかも情報理解度は低い」との患者観が暗黙裡にあり、このような患者に医療情報を任せることは危険であるがゆえに「医療専門家の見地」からの介入が必要だ、との典型的な「パターナリズム」(父権主義)の発想がある。
このこともあってか、特に日本ではネット医療情報提供サービスが質量ともにきわめて貧弱な現状がある。だが、そもそも「完全に正しい医療情報」など、誰も提供することはできないはずだ。これは医療者でさえそうである。「ネット上の医療情報」といえば、すぐに「不完全情報の危険性」や「情報規制」という短絡発想が反射的に立ち上がるような、そんな認識呪縛やバイアスやクリシェから、そろそろ自由になってもよいのではないか。そのことをこの仮説4は語っている。もう少し闘病者-患者を信頼することが必要だし、規制よりもリテラシー教育を重視すべきこともたしかだ。
参加型医学の今後に注目したい。
三宅 啓 INITIATIVE INC.
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