一昨日のエントリ「量から質へ」で述べたように、闘病サイトの可視化がある程度量的に達成された後、次にTOBYOは提供するサービスの質的充実を図っていく必要があると考えている。それはおそらく「闘病体験情報の構造化」を進める方向で充実をしていくような、そんなイメージを今の時点では持っている。要するに、闘病者が知りたい情報をより適切に、そして一層簡単に利用できるようにするわけだが、まだ具体的な方法を提示する段階には至っていない。
われわれは、TOBYOを開発するためのビジョン策定をこのブログでさまざまな方向から試行してきたのだが、ようやく「闘病ネットワーク圏」という考え方にたどり着いたのである。この「闘病ネットワーク圏」に対し「いかなる役割を果たすべきか」というふうに問題を提起すると、TOBYOの立ち位置を非常に明確に理解することができたのである。すなわち、「闘病ネットワーク圏」という形で分散展開され膨張してきた闘病体験のゆるいネットワークを、ことごとく可視化することがTOBYOの果たすべき役割となった。
ではその次の段階だが、「量から質へ」ということは「量的な拡散」を続ける闘病ネットワーク圏に、一定の構造的な秩序を作っていくようなことになるだろう。ただそれは、われわれがどのような働きかけをおこなうかよりも、実は闘病ネットワーク圏自体が今後どのような進化をしていくかということのほうが決定的に重要なのだ。それは、闘病ネットワーク圏を構成している個々の闘病サイトの運命にもかかわることである。
たとえばブログサイトであるが、これは永続するものだろうか、それともいずれは消滅するものだろうか。今日、ブログをはじめUGM(ユーザー生成メディア)は、どちらかと言えばフロー系のメディアと見なされている。個々のブログサイトの寿命が、今後何十年も続くものなのかどうかはわからない。しかし、ブログサイトはフロー系メディアであるばかりではない。現に、個人のオピニオンやメモランダムを、数千のエントリとしてストックしているブログも少なくない。全部ではないにしろ、一定のブログサイトが今後数十年にわたって形を変えながら知識体験情報をストックし続け、そのアイデンティティを強化していくとしたら、たとえば闘病サイトはPHRへと進化していくのではないかと思う。つまり、本来のPHRの主旨からいえば、ユーザー自身の手によって、闘病サイトに全ての個人医療情報が集約される方が自然なのだ。現時点でも、闘病サイトには検査データ、服薬記録、画像診断データ、受診記録など、既に個人の多くの医療体験情報が記録されストックされているではないか。
現在、Google Healthをはじめとする大規模システムPHRがユーザーに提供され始めており、たしかにこれら巨大PHRへと個人医療情報が集約される近未来シナリオの方が現実味を帯びている。だが、ネットワークとそれを構成する個人サイトの進化によっては、医療情報をめぐる別のシナリオの可能性も見えてくるはずだ。
次世代ウェブにおいて、現状のUGMはどのように進化していくのか。もしも、それらがネット上の個人アイデンティティ機能をより一層強く果たしていくのであれば、Google Healthのような巨大PHRよりも、個人闘病サイトの方が個人医療情報プラットフォームとして優位に立つ可能性もあるのだ。ただし、現状闘病サイトにおいては、貴重な体験データはなんの基準もなくばらばらに散逸している。個人闘病サイトがその存立基盤を強化するためには、「情報の構造化」による医療体験情報の一定の標準化が前提となるだろう。そのようなシナリオも考慮しながら、TOBYOの「質的充実」を図りたいと考えている。
三宅 啓 INITIATIVE INC.