二つの医療コアデータ

nanten

今月でこのブログも開設三周年を迎える。いや、とにかく時間のたつのは早い。三年前の2006年12月のエントリタイトルを改めて見てみると、やはり「闘病体験の共有」や「闘病記の考察」など、TOBYOプロジェクトのコンセプトを固めるために書かれたものが多い。

これまで何度も書いてきたが、私たちはTOBYOプロジェクトにたどり着く前に、ピッカー研究所の調査メソッドをモデルに「患者体験調査」システム開発を模索していた。患者が実際に体験した事実に基づいて医療機関を評価しようと考えていたのだが、この「患者が実際に体験した事実」というものが、わざわざ新たに調査するまでもなく、既にブログや個人サイトの「闘病記」として大量に公開されていたのである。つまり調査システムを新たに開発する必要はなく、既にネット上に存在する体験ドキュメントを参照すれば済むことに気づいたわけである。

このように思い返してみると、私たちは最初から調査データという側面で闘病体験ドキュメントを捉えてきており、それは今日にいたるまで変わっていない。その後このブログでは、「闘病記」という括りで闘病体験ドキュメントを見ることから徐々に離れていくことになる。「闘病記」というリアルパッケージのメタファーでのみウェブ上の闘病体験を捉えるとすれば、新しい医療サービスの創造などは見えず、むしろ「闘病記」の評論や研究や出版サービスなどの方向へ進むことになっただろう。むろん、闘病記の評論や研究などは自由であり、否定するつもりはない。だが、私たちが進む道はそれらではないのだ。

「闘病記」と言った方がわかりやすいし、またそれに代わる適当な文言もないので、サイトでも「闘病記」という言い方をしているが、次第に「闘病記」に対する違和感は高まっていったのである。そして先週のエントリで書いたように、最終的には「医療におけるコアデータ」として闘病体験ドキュメントを捉えるようになった。

今日、EHRにせよPHRにせよ、それらをめぐる競争は情報システム次元ではなく、コアデータの争奪戦という次元で起きている。ここにおけるコアデータとは個人医療情報のことであり、個人の医学的状態を時系列で客観的に記述したものである。それに対し闘病体験は個人が体験した事実であり、これは医療機関、医療者、サービス、医薬品、機器、治療法など医療を構成する主要ファクターを「患者の目」を通して可視化するものである。個人医療情報が個人を医学的に可視化するコアデータであるとすれば、闘病体験は、個人に体験された事実を通して医療を可視化するコアデータである。このようにこの二つは逆のベクトルを持つデータであり、おそらくそこを混同してはならないだろう。だが、逆のベクトルを持ちながらも、ある点では相互補完的であることにも気づく。

では闘病体験というコアデータは、具体的にどのように活用されるのだろうか。一言要約すれば「医療評価」ということだろう。だが、もう少し広く多様な活用の仕方があるような気がしている。いずれにせよ私たちの眼前には、未踏のフロンティアが広がっているのだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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