700エントリ目の所感: Consumer-Driven Healthcare

先週、発熱して一日寝込んで以来、体調があまり良くない。週末は外出をやめて自宅で休養に徹することにした。ブログも三日ほど休んだが、実はこのエントリで700回目を迎えることになる。2006年の暮れにブログを始めて以来、主として「海外ブログを読み、考え、ブログを書く」ということを延々と繰り返してきたわけだが、やっているうちに、この方法が非常に生産性の高い学習方法であることがわかった。従来の書籍・新聞・雑誌を手掛かりに個人メモを書く方法に比べると、おそらく知的生産性は数十倍以上になるだろう。

だがよく考えてみると、これも片手落ちであるのかもしれない。海外ブログに対しては、英語でブログを書く方がもっと知的生産性は上がっていたはずだ。実際、海外ブロガーが当方ブログを見に来るケースもあったが、「なんだ日本語か」と失望して帰還することが多かった。先ごろ「日本語ウェブ」の限界をめぐる議論が話題になったが、自分のことを振り返ってみても、Health2.0をはじめとして、やはり素材のほとんどは英語圏ウェブで論じられているものである。「日本医療」というもの自体を一度相対化して見るためにも、積極的に海外の事例や視点を意図的に強調したということはあっただろう。しかしそれ以上に、日本語ウェブにおいて語られる医療に関する言説の絶対量は少なく、多様性も乏しく、匿名発信がほとんどだという印象が強かった。おもしろくないのである。生産的で刺激的な議論が起きる気配がまるでない。一方、「ネット医師」グループのように、徒党を組んで匿名で罵倒やレッテル張りするのを、しばしば目にする機会はあったが、これら「ノイズ」をまともな言説として読もうという気はしなかった。

医療専門家たちの日本語ウェブにおける貧しい言説とは逆に、私がもっとも大量に読んだのは闘病者たちの闘病体験ドキュメントである。この闘病者たちは、世界的な物理学者から主婦に至るまで雑多な人々によって構成されているのだが、一人一人の医療に対する体験に根ざした洞察や率直な要求を読むと、思わずハッとさせられることが多かった。これら闘病者は、医療のまさに当事者でありながら、これまで「非専門家」として医療そのものを議論したり批判したりすることから巧妙に隔離されてきたのである。だが、インターネットによって多くの闘病者が直接自分の体験を語り、医療に対する考えを表明するようになった。だがこれとは逆に、学者、医療者をはじめ「医療の専門家」ほど、ウェブで実名で発言することは非常に少ないのである。

ところで話は跳ぶが、かつてジャズ評論家の相倉久人 が70年代にロックを評して、大意次のように語っているのを、たしか「ミュージックマガジン」で読んだ記憶がある。

普通、どのような芸術でも、表現者が一番先頭を走り、その後を学者・評論家・メディア等が追い、最後に大衆が追うという構造を取るのだが、ロックは違う。ロックの場合、先頭を走っているのは大衆で、その後をミュージシャンが追い、一番最後に評論家やメディアがついてくるのだ。

米国のHealth2.0ムーブメントの中では、「Consumer-Driven Healthcare」というフレーズが再三語られるのだが、私はこれを目にするたびに相倉久人のロック論を思い出す。相倉説をそのまま適用すれば、

「医療においては、闘病者・消費者が先頭を走り、その後をはるか遅れて医療者、学者、役人が追いかけ、一番最後にメディアがついて来る」

という構図になる。そしてこのことは、闘病体験ドキュメントを読む限り、ますます現実になってきていると思うのだ。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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