評価と選択

昨日のNHKスペシャル「うつ病治療 常識が変わる」をたまたま見た。TOBYO収録のうつ病闘病サイトもすでに1100件を越えており、疾患別に闘病サイトを見れば群を抜いてナンバーワンである。最近の傾向を見ると、ブログが認知行動療法に利用されるケースもあり、うつ病などメンタル系の闘病者による闘病サイトは急増している。

番組ではうつ病の医療提供実態について問題をいくつか取り上げていたが、その中で、特に医師の技量のばらつきの問題は深刻である。ある地域では、地域に存在する心療クリニックをクチコミで評価し、消費者がクリニック評価マップまで作っている例を紹介していたが、医療機関や医療者の技量を評価するデータが開示されていない以上、当然の防衛的な消費者行動と言えよう。むしろこのような評価マップは、ウェブ上で共有されるのが望ましいのではないかと思った。

日本でもすでに「クチコミによる医療機関評価」を標榜するサイトは存在するのだが、ユーザーから寄せられる評価のうち、わざわざマイナス評価を除去して公開しているようだ。一種の「検閲」だが、これでは「評価」として機能しないし信頼もできないだろう。なぜこんなことになってしまうのだろうか。そこを考えると、たとえば医療に対する「消費者の生の声」を公開したりすることに、どうも一種の過剰な心理的抑制が働いてしまう風土が日本にあることを否定できない。それを「医療者と消費者とを敵対させない配慮」などと語る者もいるのだが、なぜ医療だけが他産業とちがう特権的な待遇を与えられるのだろうか。そんな素朴な疑問をいつも持ってしまうのだ。

このような医療を取り巻く「いわく言い難い不文律」や「不可視の黙契」を、そのまま放置していては消費者にとっても医療者にとっても良いはずはない。日本以外の海外では、医療機関のみならず医療者個人のレーティングデータまで、消費者による評価結果がウェブで堂々と公開されている。これらは消費者が医療機関や医師を選択する際、貴重な判断材料になっている。

このような消費者側の「評価と選択」という機能を立ち上げなければ、いつまでたっても日本の医療はパターナリズム(家父長主義)から脱却することはできないだろう。NHKの番組では、診療科目の自由標榜制によって、専門的訓練を受けていない医師が心療クリニックを簡単に開業できてしまう問題を指摘していたが、このような「プロフェッショナル・フリーダム」も、消費者側の「評価と選択」という対抗的なパワーがないために野放図に放置されているのだ。

インターネットこそが、これら消費者側の「評価と選択」機能を立ち上げるのにふさわしいと思われる。たとえばまず闘病者は、闘病記などで医療機関名や医師名など固有名詞、そして自分が体験した具体的事実をどんどん公開してもらいたい。そうすれば医療現場をもっと可視化し透明化できるし、それらのデータを使って医療レーティングサービスも可能となる。また、TOBYOの全文検索サービスで具体事例を探しやすくなる。

「消費者参加型医療」というものは、以上のように、まず「消費者の生の声」を公開し、「評価と選択」機能を当たり前に稼働させるところから出発するはずだ。そしてインターネットこそが、これを担うにふさわしいメディアであることは疑いない。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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