TOBYOの位置づけというものを考えてみると、当初、原型となるアイデアが出来上がった時にはまだ不分明であり、やがてそれは「闘病ネットワーク圏」というビジョンが浮かび上がって、ようやく明確になったのである。以来、「闘病ネットワーク圏のインフラツール」というシンプルな説明が可能になったのだが、何度も繰り返すうちに「闘病ネットワーク圏」という表現自体に、今度は違和感を抱くようになってきたのである。
第一、ネット上の現象を指すのに「ネットワーク圏」などと言うのは、単なる言葉の繰り返しのようで表現がくどい。もっとすっきりとは言えないものか。できれば、佐々木俊尚氏の「インフォコモンズ」のようにかっこよく。そんなことを考えているうちに「闘病ユニバース」という言葉が口を衝いて出た。
おそらくこれは、β版リリース時に、闘病ネットワーク圏を宇宙にたとえて作ったプレゼンスライドから連想されたものであろう。そして、次に連想された言葉は「生成と消滅」であった。まるで私たちの抱える「生」の不確からしさをネット上に投影(projection)するかのように、闘病記は「突然、ポッと光が現われ、明滅を始め、やがて消えていく」存在である。そしてそのような「生成と消滅の相」のもとでしか、おそらく「闘病」の意味を捉える事はできないのだとの、直観が訪れたのである。
それは感傷からではない。鋭い覚醒でもない。あえて言うなら、その直感はある種の畏怖に基づくのかも知れない。
今後、闘病ネットワーク圏にかわって闘病ユニバースという表現を用いるが、それは以上のような理由からである。
三宅 啓 INITIATIVE INC.