昨日エントリーで触れた英国保守党キャメロン党首のNHS批判は、今後の公的な医療情報システムのありかたに一石を投じるものである。たしかに英国のみならず、どこの国でも公的な情報システムは膨大な国家予算を投じて構築運用されるわりには、その利用頻度は少なく、巨大な浪費と損失に終わっているケースが多い。e-TAXや住基カードの例を出すまでもなく、とにかくこれまで「過去の成功事例」をまったく思い出せないほど「公的情報サービス」の信用は極端に低いのだ。
その理由はさまざまに指摘できるだろうが、まず初期段階の計画立案時において各省庁で設置される「検討会・審議会」の問題が大きいのではないか。これら「検討会」の類に招集される委員などは「結果についての責任」を除外されているから、結局、無責任な言いっぱなしで済んでしまうことになる。そもそも結果責任を問われないなら、健全なる緊張感を持ちようがないではないか。またこれら「検討会」のメンバーの顔ぶれだが、毎度同じような面々が召集され、一向に変わり映えはしない。中には「名誉職」と勘違いしている者もあるらしい。さらにその後、実施段階、運用段階においても「責任者不在」でことが進むのだから、うまく行くはずがない。
「健康ITカード、社会保障カード、電子私書箱」など、ここ一年ばかりの間、いろいろな医療情報にかかわる公的システム案件が登場してきたのだが、見るところ、これまですべてこれらは「従来シナリオ」を踏襲している。つまり、またまた非効率な、誰も使わないような巨大情報システムが、税金を大っぴらに費消して作られそうだと覚悟した方がよい。
ではどうするか?。どうせ公的サービス部門の未来には絶望しかないのなら、とにかくそれでも民間と個人が自由に動ける空間と法的権利だけは確保しなければならないだろう。その際のポイントはまず「情報のポータビリティ(携行性)」ではないかと思う。公的システムのみならず健保組合等の「デッド・システム」から離脱(オプト・アウト)し、それらにストアされた個人医療情報を個人がダウンロードしアグリゲートし自由に持ち運べる権利である。とにかく自己に関するデータは自分のものであるから、それを自由にコントロールできる権利だけは確保する必要がある。
ちょうど最近、SNSやCGMサイトから自分のデータを自由に持ち運びしたい、というニーズに対応する動きがウェブで顕著になりつつある。”Data Portability Working Group”が中心になり、「個人データの携行性」がまさにホットなテーマになってきている。非効率で使い物にならない「システム」に対する生活者側の自己防衛は、それらの「デッド・システム」から離脱する権利と、自分のデータをそこから回収し利便性の良い他のシステムに乗り換えることである。
三宅 啓 INITIATIVE INC.