医療情報システムと国民医療

一昨日のエントリ「医療情報システムの三つの顔」に対して、ganfighterさんが各システムの英語定義を翻訳してくださった。あらためて感謝しておきたい。またynbさんから、各システムの定義について素晴らしい考察をしていただいた。これも感謝しておきたい。なるほど、「データの網羅性」という基準を立てると各システムの差異は一層明確になるはずだ。その際、たしかにEMRは医療現場に一番近いシステムであるだけに、最も広範な「データの網羅性」を持つことになる。かたやPHRは、患者に最も近いシステムとして「患者自身による訴えの記述」までをカバーできる。そうなるとEHRが中途半端な立場に立たされそうだが、ynbさんが言われるように、そのデーターカバレッジは「パブリック」という観点から限定される可能性は高いだろう。だが、そうなるとEHRの経済的基盤はどうなるのだろうか。

かつてブッシュ政権がぶち上げたNHIN構想を思い返すと、確か「EMR-RHIO-NHIN」の三層構造になっていたと思う。これは「医療現場-地域-全国」に対応するものとして構想されたはずだ。しかしRHIO((地域医療情報機関:Regional Health Information Organizations)の経営破綻が各地で相次ぎ、実質的にはこの構想は頓挫したものと見られている。このRHIOはEHRとみなせるかもしれない。もともとRHIOは、地域に存在する各医療機関の医療データを相互利用するデータセンターとして機能し、その運営管理費を各医療機関から徴収するものとされていた。だが、医療機関から見てRHIOが提供するサービスの価値は低く、しかも各医療機関が内部医療データを外部に出し渋ったために、RHIOは機能不全に陥ったのである。あるいはこのRHIOの窮状は、EHRの将来を暗示しているのかもしれない。

しかし、もしも医療データが各医療機関のEMRに固定されてしまい外部にフローしないとなると、医療機関相互の医療データ利用は不可能となり、結局、国民医療システム全体の合理化とコストダウンは起きないことになる。これまで同様、重複検査などコストドライバーが温存されるからだ。たとえばPHRだが、これに対しても日本の医療現場からは、早くも「もし重複検査などがなくなるとすれば、医業収入減につながる」と警戒する声さえ上がっている。

EMRが各医療機関ごとにスタンドアローンで立つという事態は、医療機関内部の業務フローを合理化しコストダウンを生み出すかもしれないが、国民医療システム全体の合理化とコストダウンにはつながらない。どうしてもEHRやPHRなど社会的で医療機関横断型のネットワークシステムが必要なのだが、そのビジネスモデルがまだ見えていないことに加え、想定される医療現場の抵抗が足かせとなるだろう。だが、そのように考えてみると、やはり消費者参加型のシステムであるPHRは、消費者から支持されやすいだけに強いのではないだろうか。「PHRを軸にした国民医療システムの改革」というシナリオはかなり魅力的である。

いずれにせよ、このような議論がもっと日本でも起きることを期待したい。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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