新しい医療ニーズへの洞察力

昨日、四年前に起きた福島県立大野病院事件で、福島地裁は医師側に無罪の判決を言い渡した。朝刊各紙ではこの判決を概ね妥当なものとしながらも、被害者および消費者側の医療不信にも言及している。事件当時から当方は、そもそも警察が医療事件を捜査すること自体に無理があると思え、また最善を尽くした医師を断罪することはできないとも思えたので、今回の判決に異論はない。

だが、日経紙面に「医師・患者、通い合わぬ論理」との見出しがあるように、今日の日本では医療者側が主張する「医療崩壊」と患者・消費者側が上げる「医療不信」の声が対峙し、まるでその間に架橋しがたい断絶があるかのようである。今回の事件はこのことを改めて鮮明に照らし出している。

ではこの「通い合わぬ論理」や「断絶」の原因を、一体どこに求めればよいのだろうか。これについても医療者側と患者・消費者側の双方にそれぞれの言い分があり、お互い相ゆずる気配はない。医療者側の言い分としては、昨年あたりから相次いで刊行された医師による著作、たとえば「医療の限界」(小松秀樹)や「誰が日本医療を殺すのか」(本田宏)などを読めばその概略をつかむことはできる。そこでは「日本人の死生観」の問題であったり、大衆消費社会によって「増長」してしまった消費者意識であったり、さらには「新自由主義の社会風潮」などが「元凶」として批判されている。このブログの書評でもこれらの本は取り上げてきたのだが、なんというか、これらの「医師本」の時代認識には大きな疑問符を付けざるを得なかった。そもそも、その「大衆に向けたお説教」みたいな語り口に辟易してしまったのである。消費者大衆に向け「きちんとした死生観をもて」などと説教しようという、そのアナクロな感性にまったく同調できないのだ。これでは医療者と患者・消費者の間にある溝は、ますます広がるばかりである。

「増長しているかどうか」は別として、確かに大衆消費社会の高度化に伴い、消費者ニーズは多様化し変化してきている。それらのニーズの変化を察知して、様々な業界の企業では新しい製品やサービスを生み出しそれら消費者ニーズの変化に対応しようと努力してきた。まさに「変化がチャンス」であったのだ。そしてこれらの消費者ニーズ変化の大きな潮目が、おそらく1980年代の半ばごろにあったと当方は考えている。この「潮目」以前は、企業がマスコミを使って、たとえば「これが新しいライフスタイルだ」とメッセージを出せば、消費者側がすぐさま反応するというような「コマンド&コントロール」のマーケティングが効率よく作動していた。しかしこの「潮目」を境として、いくら企業側が大規模なメッセージ発信を仕掛けても、消費者側は一向に反応を示さなくなってしまったのだ。

1980年代前半当時、日本の消費社会で一世を風靡していたのはまちがいなく西武セゾングループであった。「おいしい生活」「不思議大好き」などの一連のキャンペーンが成功したのが80年代初頭。だが、その二-三年後には、すでにセゾングループのキャンペーンは消費者を動かす勢いを失っていたとされる。セゾングループの総帥であった堤清二氏は、のちに当時を振り返って「消費者がわれわれを追い越して行った。」と象徴的な述懐をしている。

1980年代の中ごろに、日本の消費者は企業のマーケティングを「追い越して行った」のであり、そのことは「コマンド&コントロール」型マーケティングの終焉を早くも意味していた。その後、今日に至るまで「先行する消費者にどう追いつくか」という命題のもとで各業界の企業はマーケティングを遂行して来なければならなかったのだが、これらの変化に取り残された唯一の産業セクターが「医療」であったのだ。

思い返すと、「医療はサービス業である」と当たり前のことを厚生省(当時)が言い始めたのがようやく1997年ごろである。80年代半ばの「潮目」以降、消費者ニーズは企業を「追い越して」変化を遂げていったのだが、その変化に医療は「サービス業」としてまったく対応することができなかった。自分の目の前にいる患者・消費者が「潮目」以降の新しい生活者であるのに、あいかわらず医療者は「潮目」以前の生活者像で患者・消費者を遇してきたのである。そして今日に至っても、「潮目」以降の患者・生活者が医療に求めるニーズを医療界は理解できていないのだ。理解できていないどころか、古めかしい「説教」までしようとしているのだ。これでは「断絶」を埋めることはますます絶望的ではないか。

時代は大きく変わってしまったのだ。郷愁を「古き良き」時代に求めるのは個人の勝手だが、変化に対する鋭敏な時代感覚と洞察力を欠いた郷愁は、容易にアナクロニズムへ転化するのである。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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