闘病記のモチベーション

自発性とモチベーション

英国Patient Opinionの紹介のポストで、「(ユーザーに)自発的に自分の体験を記録提出させるというのは、非常にハードルが高いといえる」と述べておきました。米国のOrganizedWisdom同様、ユーザーに何らかの情報を新たに作成させるUGMを医学情報サービスに応用する場合、そのユーザーのモチベーションをどう確保するかが問題となるわけです。

池田信夫ブログ「ビジネスマンが2チャンネルから学ぶべきこと」

オープンソースや「ユーザー生成コンテンツ」を支えているのは、金銭的なインセンティヴではなく、ユーザーが情報を提供するモチベーションで ある。インセンティヴは報酬によって引き上げることができるが、モチベーションを上げる決まった方法はない。個人が情報を生産する目的は多様であり、その 成果の尺度も決まっていないからだ。しかし一つだけいえることは、こうした多様な目的を許容する自由度が高いほどモチベーションを高めやすいということ だ。だから、なるべくオープンにして参加の障壁を下げることが不可欠である。

UGC(ユーザー生成コンテンツ)が成立する前提とは、畢竟、個人が情報生産に対してどのようなモチベーションを持ちうるかという点につきるような気がします。そしてそのモチベーションは、「目的許容の自由度」に依存すると池田信夫さんは述べていますが、確かに、個人が自発的に目的を立て自由にそれを実現するのと、誰かから求められ、一定のルールに従って「参加」するのとでは、モチベーションのレベルはまるで違うことになります。Patient OpinionやOrganizedWisdomの場合は後者にあたり、Web闘病記は前者に該当するのではないでしょうか。

Social Networking Software「すでに存在する」という「価値」

私たちは、Web闘病記が「すでに存在するUGC」であることに着目するところから、TOBYOのアイデアを作り上げてきました。実際に周囲を見回してみると、過去10年くらいの間に膨大な量の闘病体験記がWeb上に「すでに存在していた」のであり、ゼロから新しい意匠のコンテンツ制作を呼びかける必要がなかったのです。Web上の闘病記は、誰かに命令され呼びかけられて書くのではなく、経済的なインセンティブを目指して書くのでもなく、また何かの名誉や賞賛を得るために書くのでもなく、ただ闘病者個人の自発性に基づき自由に制作されてきたのです。そこが素晴らしいと思えるし、その貴重な情報をこのまま放置するのはもったいないと考えたのです。

闘病記を支えるもの

個人の日常生活や趣味をテーマとするブログや個人サイト、さらに個人のプロフェション(専門性)に基づくオピニオンサイトなどは、その情報生産モチベーションを理解しやすいのではないでしょうか。 しかし、闘病記となると、これらとは少し性格が違うような気がします。

「自分の趣味を語る」ことや「社会問題に専門的観点からコメントする」ことには、楽しさや、何かについてオリジナルな考えをまとめる充実感や、発表にともなう達成感があります。 でも「自分の病気と闘病体験を語る」ことを考えると、それらとはまったく違うモチベーションを想定しなければ了解不能な気がするのです。では「闘病記を支えるモチベーション」とは一体何でしょう?。

ここまでくると、「人はなぜ闘病記を書くのか」という問題にやはり帰着するのかもしれません。ただ私たちがTOBYOを構想する中で考えているのは、「どうやらWebという空間が、闘病記と親和性のあるものかもしれない」という一つの「気づき」です。そこを手がかりとして、今後、精緻に洞察していかなければならないと考えているところです。

三宅 啓   INITIATIVE INC.


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