医療情報の生態系

ecosystem

先週10月20日付け朝日新聞朝刊に「ネットの医療情報、見極める」と題する記事が掲載され、ネットにも公開された 。TOBYOや当方コメントも紹介してもらったが、ネット医療情報の現状に対する多様な声を、ポイントを押さえながらも非常にコンパクトにまとめ上げてあり良い記事だと思った。この記事によって諸関係者の布置が俯瞰され、TOBYOプロジェクトが置かれている現下の位置がよくわかったのである。

しかしながら、ネット上の医療情報の信頼性にかかわる問題は、かれこれ10年も前から同じような議論が繰り返され、一向に前進していないように思われる。これはなぜなのか。記事には「ただ日本では、検索エンジンで上位に並ぶのは企業や個人のサイトが多い。怪しげな治療法を勧めるサイトもあって問題だ」(CNJ関係者)との発言もあり、このあたりを調べてみると「ネット上の医療情報の質の日米比較」論文まで書かれているようだ。(CNJの参考ビデオ)。それによれば、米国よりも日本の方が圧倒的に「ネット医療情報の質」は劣るとのことだ。だが、どうして「量」の前に「質」を論じてしまうのだろう。逆ではないのか。

情報は、多ければ多いほどよい。

単純だが、これが原則だ。情報量が十分に確保されていれば、その中から、検索エンジンやフィルタリングで必要な情報を選び出すことは技術的に可能だ。何億件という情報も、機械と技術で処理できる。反対に情報量が不足していると、技術でそれをカバーすることも、また複数から選択する余地もない。情報量が増えると、ある確率のもとに出現する「良質な情報」の数も増えるはずだ。逆に情報量が足りないと、「良質な情報」が一件もない事態さえ想定される。

そして単純な事実が見落とされている。それは日本の医療行政、医療機関、医療関連学会、医療調査研究機関などから配信される医療情報の量が、欧米に比し圧倒的に少ないという事実だ。これら機関から十分な情報配信量がないから、相対的に「企業や個人のサイト」からの情報量が多くを占めるようになるのはむしろ当然のことだ。

だからまずやるべきことは、「企業や個人のサイト」を悪者にして「質の低さ」や「不確かさ」をあげつらい、それらに対する警戒心を声高に煽ることではなく、単純に医療関連諸団体に医療情報配信を拡大させることだ。「質」を論じるよりも、まず「量」を確保すること。これがネット医療情報の第一に着手すべき実践的課題である。

数年前、私たちはある国内大手医療機関グループに総合医療情報サイト開発を提案し採用され、かなり大きな予算でプロジェクトに着手したことがあった。ところがいつまで経っても具体的なアクションは始まらず、何度催促しても事は進まなかった。これらの過程でわかったことは、結局、日本の医療機関はウェブサイトを「広告看板」程度にしか考えておらず、患者・消費者に役立つ最新の医療情報を配信することにはいささかの関心も持っていないということだ。これは医療機関にとどまらず、日本の医療界および関連諸団体全体の傾向だとさえ思われる。

これら医療界および関連団体から配信される医療情報の量的貧困は、医療分野の日本語ウェブ領域の成り立ちにもバイアスをかけている。日本では医療界や関連団体から本来配信されるはずの「信頼性の高い医療情報」が圧倒的に少ないために、たとえば医療情報バーティカル検索サービスなどが成立しにくくなっている。検索対象すなわち情報ソースが少ないために、多様な検索結果を提供できないからだ。また、たとえば100サイト程度しか検索対象がない場合、独自のバーティカル検索エンジンを開発するまでもなく、GoogleカスタムサーチやGoogleサイトサーチを使えばすむ。これらを使えば誰でも、無料か、有料でも格安な料金で、世界最高の検索エンジンを特化型検索に調達できてしまう。これでは医療情報のバーティカル検索サービス事業が、日本で育つ可能性は低い。

ウェブ上では一次データ、二次データ、そしてそれらのリミックスなど、つまり「情報の食物連鎖」が成立しており、多様なプレイヤーがデータを様々に加工して多様なサービスを提供している。これらネット上の生態系が豊かに多様性を持って発展するための土台は、常に大量の基礎データが公開され、配信され、自由に利用できることにある。そして医療分野の場合、信頼性の高い医療情報を出すことができる医療機関や関連団体が、まず情報をしっかり出さなければ、生態系全体の健全なる発展は損なわれるのだ。

たとえば闘病サイトの数が多いことは日本語ウェブの特徴の一つだが、これも本来医療機関から出てくる疾患情報などが少ないために、患者・消費者の側で闘病体験を公開し、共有し、相互利用するほかないという事情があるからだと思われる。「自分の病気に関する情報をネットで探してもほとんど見つからなかった。だから、自分の体験や得た情報を他の患者さんに役立ててもらいたい」。多くの闘病サイトがこのようなコメントを付している。

ここ10年ほど見ても、他の分野に比し日本のインターネット医療サービスは、さしたる大きな成果も成功も生み出してはいない。またここ数年、欧米のHealth2.0シーンには多数のスタートアップ企業が登場してきたが、日本では今のところそのような気配はない。なぜこうなっているのだろうか。なぜ、日本のインターネット医療サービスは欧米のような多様な展開がないのか。その大きな原因は以上のような問題にあると、最近考えるようになってきた。日本語ウェブ医療領域が「ゴミの山」になるのか、それとも「豊穣の海」になるのか、それはまず医療界と関連団体のウェブ認識にかかっているのかもしれない。

三宅 啓  INITIATIVE INC.


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